Gallicaの日本資料を翻刻!

コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - ページ 85

ページ: 85

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ちをのがれ出(いで)淹淲水(えんこすい)と云(い)へる河岸(かし)に至(いた)れどもわたりをなしべきやうもなしその ときにのつと【祝詞】し。我(われ)は是(これ)天帝(てんてい)の子(こ)にして河泊(かはく)の外甥(くわいせい)たり今日(こんにち)なんをのがれて爰(こゝ) に來(きた)るを伺たより救はさるぞと罵(のゝし)れば忽ち河流(かりう)浪切(なみきら)し多の魚鼈(きよべつ)あつま りてはしをなし。四人の者(もの)を渡(わた)しけりうしろより追手(おつて)の至ると云どもずでに朱蒙(しゆもう) を渡(わた)るを見ておの〳〵あとへかゑり。その後 朱蒙(しゆもう)は卒本扶余(そつほんふよ)沸流水(ふつりうすい)のへん まてを手(て)に入つひに爰(こゝ)に国(くに)を立て居城を定(さだ)め。高勾麗(かうこうり)と国(くに)を号(ごう)し自己(じこ)の 姓(せい)を高氏(かうし)と称(しよう)ず是(これ)よりして近郡(きんぐん)を斬(き)りしたかへ大威猛(たいいまう)をふるひしが。位(くらい)に つくこと十九 年(ねん)にして薨(こう)ずれば龍山(りうせん)といふところに葬(ほうふ)り是(これ)を東明聖王(とうめいせいわう)と云。 第(たい)二 代(だい)を琉離王(るりわう)と号(がう)しける    百済(ひやくさい)始祖(しそ)興(おこり)の事(こと)