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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 190-191 - ページ 88

ページ: 88

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その年(とし)も暮(くれ)明(あく)る三月。唐(とう)の左武衛(さゝふゑ)大将軍(たいしやうぐん)蘇定方(そていはう)等(とう)に命(めい)あつて。百済国(ひやくさいこく)を 伐(うた)しめらる。先(さき)だつて新羅(しんら)より来(きた)りて唐(とう)に宿衛(しゆくゑい)たる。金仁問(きんじんぶん)を道路(たうろ)険(けん) 易(い)の案内(あんない)たらしむ。其(その)土地(とち)の要害(やうがい)を答(こた)ふること絵図(ゑづ)に向(むか)ふが如(こと)くなる故(ゆゑ)。 高宗帝(かうそうてい)大(おほい)に悦(よろこ)び遂(つひ)に三軍(さんぐん)を調(とゝの)へて。その備(そなへ)を定(さだ)めらる定方(ていはう)を神丘道行(しんきうだうかう) 軍(ぐん)大総官(たいそうくわん)となし。仁問(じんもん)を副大総官(ふくたいそうくわん)となし。左驍衛(さげやうえい)将軍(しやうぐん)刈伯英(かうはくえい)龐孝公(はうかうこう) 右武衛(いうぶゑい)将軍(しやうぐん)馮士貴(ひやうしき)等(とう)をして。水陸(すいりく)十三 萬(まん)の人数(にんす)にて百済(ひやくさい)を伐(うた)しめたり。また 新羅王(しんらわう)に勅(ちよく)ありこれが援兵(えんへい)たるべき旨(むね)を蒙(かうふ)り。同(おなじ)く夏(なつ)六月には新羅王(しんらわう)自(みづか)ら 兵(へい)に将(しやう)として唐軍(とうぐん)を助(たすけ)たらんとす。乃(すなは)ち南川停(なんせんてい)と云(いふ)処(ところ)に軍(ぐん)を次(じ)して。唐兵(とうへい) の相図(あいづ)をこゝに待居(まちゐ)たり。既(すで)に蘇定方(そていはう)等(とう)兵(へい)を引(ひい)て菜州(さいしう)と云(い)ふ処(ところ)より。海(うみ)を 渡(わた)つて出來(いできた)る舳艫(ぢくろ)千 里(り)の浪(なみ)を断(た)ち。旌旗(せいき)万天(ばんてん)の雲(くも)を起(おこ)して。既(すで)に徳物島(とくぶうとう)と