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に忍(しの)びず。早々(はや〳〵)かへりてこの趣(おもむき)を汝(なんぢ)が国(くに)の王(わう)に語(かた)れといふてかへしけり。日本(につほん)の兵(へい)
士(し)どもは豊璋(ほうしやう)破(やぶ)れて走(はし)る上(うえ)は。誰(たれ)か味方(みかた)をなすべきやうなくみる〳〵軍(いくさ)を
かへしけり。百済(ひやくさい)の者(もの)ども此時(このとき)に日本(につほん)へ逃(のが)れ來(きた)るも多(おほ)かりける。其中(そのうち)男女(なんによ)四百
余人(よにん)を近江(おふみ)の国(くに)なる神前郡(かんさきこふり)に移(うつ)し置(おか)れ。また東国(とうごく)へ二千 余人(よにん)を分(わか)たれ
けり。其後(そのゝち)唐朝(たうてう)より劉徳高(りうとくかう)といへる者(もの)を日本(につほん)へ來(きた)らしむれは。我朝(わがてう)より守(もり)
君(きみ)の大石坂部(おほいしさかべ)の積(つもり)等(ら)を遣唐使(けんたうし)として渡海(とかい)せしめ。大唐(たいとう)の高宗皇帝(かうそうくわうてい)
に対面(たいめん)して帰(かへ)りたりける。かくてぞ日本(につほん)と異国(いこく)の意趣(いしゆ)とけ。しばらく無(ふ)
事(し)には成(なり)にける
高勾麗(かうこうらい)滅亡(めつばう)の事(こと)
高勾麗(かうこうらい)の朱蒙(しゆもう)始(はじめ)て国(くに)をひらくの後(のぢ)。第二代(たいにたい)を琉璃王類利(るりわうるいり)といへりそれ