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ト.七嶽御拝へ藩庁の下附品
毎年壱五千斤の精錬硫黄を上納せし時は藩庁よりして鳥島の七嶽お拝所に一
箇所に対し沖縄の陶器(俗に云ふ「シニンクン」の大きさのもの)壱枚づつと扇弐本
づつを下附されたのである其制例は何百何十年前から続ひたものであつたか
分らないが嶽々のお拝所には陶器の山を成したとも申すべく沢山な陶器が積
み重ねてあつたそして上部に成つて居るのは近年の壺屋の素焼であつたが下
層に成つて居る陶器は薬を掛けた物もあつて亦緊致愛すべき物もあつた常用
の焼物としては余り感心も出来ないが茶人杯に見せたらば何百年間と云ふ長
い間風雨に晒され硫黄の煙にいぶされて一種古雅の色をなした物もあつたか
ら欲しがらるゝ品らしい物もあつた
○第二 廃藩置県後の鳥島
イ.置県間際の鳥島
置県後の鳥島も初めの程は藩政時代の鳥島と人口も戸数も別に変りた事は
なかつた矢張り藩政の時代其儘で吏員の配置も上納の義務も救助米の支給も
何も変りた事はなかつた明治十五年に始て飢饉の為に救助願を出したが夫れ
が動機となりて県庁では鳥島を研究する事になつて鳥島救済策を根本的
に確立しなくてはとの議が萌芽したのも其時からである
ロ.移民の勧誘と拒絶
鳥島の救済策を根本的に研究した結果救助米を当にするが如き乞食根性の依
頼心を起さしめては独立自営の道の妨げである独立自営の心は人間になくて
は叶はぬ道であると云ふ事を覚んらしめようと云ふので実況を調査する事に
なつた即ち明治十五年に県属二人(添田弥、勝屋弘道)を出張せしむる事にな
つた此の両人の属官が出張種々調査の結果鳥島は到底住民が衣食住共求遠
に安穏に住居し得べき土地でないと云ふので島全部の住民を集め即島民大会
を島の出張先で開いて現住民及子孫の繁昌の為め移住の得策なるを説き久米