翻刻
【右丁】
向ひて逆徒等をうちほろほすかゝる所に 伊達か藩代
の郎等須田伯耆守氏郷の陣に来て政宗会津仙道の
地うははれて安からす思ひ賊徒軍催して国乱さんと支度
候とつく氏郷されは始よりあやうき事の多けれとて政
宗に心をゆるさす関白奥に軍起ると聞召浅野弾正少弼
長政追討の御使を承て馳下る氏郷既に賊徒退治して
引返し二本松にして長政にゆきあひ打つれて上洛す
政宗も同しく上洛し讒者の実否をたゝさめとて都に
のほり妙覚寺を旅館とし罪なきよしを陳し申す
関白殿さらに誠としたまはさりしかと深き慮まし〳〵
【左丁】
けれはまつ政宗か伊達信夫刈田柴田等の郡をは氏郷か
此度の勧賞に給ひ木村か葛西大崎の地を没収して政宗
に給ひ天正十九年の六月晦給て 国に帰さる《割書:此説は会津|四家合考に》
《割書:出つ氏郷記には十九年九戸陣の後伊達等の地給ひしと見えたり|又政宗隠謀の申わけせしやうは氏郷記四家 合考を 合せみるへし》
《割書:成実か記は|詳ならす》今年政宗岩手沢にうつる《割書:今の|仙台》程なく賊徒
起りて宮崎の城にたてこもりたるを攻やふりて首
とも都に献りけれは関白の御感をかうふるそのゝち
侍従に任し朝鮮の事起りしかは政宗千余人を
引て名護屋に陣し《割書:成実記を見るに此年六月の頃名護屋|の陣にして 徳川殿の 御家人加賀の》
《割書:利家家人とたちまちにいくさせんとす たとへは徳川殿の御陣の|ほとりにひやゝかなる泉なかれ出る利家の雑兵等来りくむ 水多》