翻刻
【右丁】
《割書:からされはくみつくしける事度々に及ひぬ徳川家の下部等 これを制|すこれより事起りて 加賀の陣より二人三人とはせくはゝる徳川殿》
《割書:の御家人等もはせ集る程に後はたかひに二三十人かほとかた手矢はけ|やり長刀打物のさやはつして 左右にたちわかる徳川殿の 御内にて》
《割書:本多中務少輔忠勝をはしめ 宗徒の人々うち出てかたく 制す加賀|の陣よりはしかるへき侍の出て制することのなかりしかは粮藉 既におこらんと》
《割書:す政宗か陣無碍にちかく日比又徳川殿にも 利家にも共にしたしく|されと事出来なんには徳川殿の方人すへしと覚へけれは家子郎等》
《割書:こと〳〵く政宗か陣にあつまり今や事おこるとまつかゝる所に徳川殿|の御内に渡辺服部両半蔵とてかくれなかりし足軽の大将 鉄砲三》
《割書:百余に火縄かふて利家の陣のうしろなる山に打上りて 事おこると|見は大将の陣を打やふるへしと見えしかは政宗大におとろき宗徒の》
《割書:家人二三人をして|双方をしつめぬ》明れは文禄二年三月政宗浅野左京大夫
幸長と朝鮮に渡りて 手合にまつ釜山のほとり
にて朝鮮の兵八十三ゕ首切て献りことし七月諸
大名と共に晋州の城を攻落す其後少将に任す同き
【左丁】
四年二月氏郷卒して後其男宇都野宮にうつされし
かは政宗仰を承り帰国して 国勢を沙汰す此年
七月関白秀次謀反の聞えありて誅せられ給ひ
政宗彼与党たる由風聞す政宗大に驚きいそき
大坂におもむきまつ施薬院の家に在て罪なきよし
を陳す太閤御使を給て御糺問両度におよひ其後
仰下されしは秀頼か誕生の初汝か男兵五郎を《割書:遠江守秀|宗か事也》
参らすこれ秀頼か被官の始たりされは彼男を以て
伊達か家をはつかせなん汝すへからく遠島にうつるへし
すみやかに本国に留りたる宗徒の家人等こと〳〵く