翻刻
【右丁】
の軍起りし時将軍家の先陣うつて馳上る此年十二月
廿五日長子遠江守秀宗伊予国を賜ふ《割書:十万三|千石》明年五月
六日道明寺の合戦に後藤又兵衛を始てあまたの敵を
うち明る七日の戦に首五百二十五切て献る閏六月
十九日参議になさる此度の勧賞と聞ゆ寛永三年
八月十九日権中納言に任す同十三年夏政宗病既
に甚し五月十三日同十九日左大臣家ふたゝひ彼家
にならせたまひみつからその病をとはせらるるすくなき
御事也此月廿四日政宗つもる年七十二歳にて卒す
其子少将忠宗家をつき明暦四年七月十二日卒す
【左丁】
六十才歳嫡子侍従兼越前守光宗十九歳にて正保二年
九月八日父に先たちて卒し二男少将兼陸奥守綱宗
家をつくはしめ四位侍従兼美作守たり万治三年
伊達か一門幷家子郎等一同に綱宗病に犯されて
国務に堪さるよしを披露す彼か望請によつてかの
嫡子亀千代丸としわつかに二歳なるに国を賜ひ綱宗
籠居すへきよしを仰下さる寛文八年十二月亀千代丸
元服し御諱の字給り四位の少将に任し綱基と
申す同十一年一族家人等あひうつたふる事有て
執政の家に召決せらるゝに 忽に狼藉起りて家人