伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 16

ページ: 16

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【右丁】 原田甲斐宗輔 伊達安芸宗重をきつて手負もの死 するものあり同き四月三日一族家人等か罪さため らる同六日陸奥守綱基幷に一門の輩を召れて綱基 か国中の士民こと〳〵く虐政に苦しむのみにあらす今度 家人等か狼藉甚奇怪の至也 しかるといへとも綱基幼 稚の程にしていまた政務をしらさりし上は其罪を ゆるさる向後の事は綱基か 沙汰たるへき由を仰下さる 隠岐守藤原宗良《割書:田村と|称す》忠宗か三男祖母は陸奥 三春の住人田村大膳大夫清顕か娘也た田村か家すてに 絶ぬれは彼外曽孫なれはとて 宗良して 其家をつか 【左丁】 しむ《割書:三万石を|わかつ》其子隠岐守 宗永父につき延宝六年三月 廿六日卒しその子右京亮建顕つく 侍従遠江守藤原秀宗《割書:伊達と|称す》政宗か長子はしめ文禄 二年右大臣秀頼生れたまひし時政宗其子秀宗かいまた 幼なきを彼御家人にまいらす太閤大に悦ひたまひ同 四年侍従従五位下兼遠江守になされ又諱字をそたふ たりける《割書:童名をは|兵五郎と申ス》時に年わつかに六才とそ聞えし慶長 十九年の冬大御所伊予の国を給《割書:十万|石》寛永三年八月 従四位下に叙し明暦三年七月廿一日家をゆつる同四年 六月八日六十八歳にて卒す嫡子左近大夫宗実二男