翻刻
【右丁】
原田甲斐宗輔 伊達安芸宗重をきつて手負もの死
するものあり同き四月三日一族家人等か罪さため
らる同六日陸奥守綱基幷に一門の輩を召れて綱基
か国中の士民こと〳〵く虐政に苦しむのみにあらす今度
家人等か狼藉甚奇怪の至也 しかるといへとも綱基幼
稚の程にしていまた政務をしらさりし上は其罪を
ゆるさる向後の事は綱基か 沙汰たるへき由を仰下さる
隠岐守藤原宗良《割書:田村と|称す》忠宗か三男祖母は陸奥
三春の住人田村大膳大夫清顕か娘也た田村か家すてに
絶ぬれは彼外曽孫なれはとて 宗良して 其家をつか
【左丁】
しむ《割書:三万石を|わかつ》其子隠岐守 宗永父につき延宝六年三月
廿六日卒しその子右京亮建顕つく
侍従遠江守藤原秀宗《割書:伊達と|称す》政宗か長子はしめ文禄
二年右大臣秀頼生れたまひし時政宗其子秀宗かいまた
幼なきを彼御家人にまいらす太閤大に悦ひたまひ同
四年侍従従五位下兼遠江守になされ又諱字をそたふ
たりける《割書:童名をは|兵五郎と申ス》時に年わつかに六才とそ聞えし慶長
十九年の冬大御所伊予の国を給《割書:十万|石》寛永三年八月
従四位下に叙し明暦三年七月廿一日家をゆつる同四年
六月八日六十八歳にて卒す嫡子左近大夫宗実二男