翻刻
【右丁】
父子三人か年来の功を賞して丹後国を藤孝にて賜り
けり此後は忠興つねに織田殿父子の軍にしたかつて
爰かしこに戦ふ明れは十年の夏織田殿明智日向守光秀
か為に討れたまふはしめより藤孝は丹後にあり忠興
此時山陽にむかはんとて本国にそ帰りたり明知【ママ】は忠興
か舅なりけれはやかて丹後に使たてゝ光秀年頃の
本意とけて織田殿父子うしなひぬおりふし摂津の
国闕国に侍れは忠興に参らする所也急き馳来て
力あはせ給ふへしといひしかは忠興父子大にいかつて
返答にも及はす信長の御為に髪をしきり二心なき由を
【左丁】
心の内にちかひ又忠興の妻に子ともつけて 山深き所に
をしこめいそき秀吉のもとに使たつて共に心を合て
光秀を誅すへきよし牒状して 軍勢を催す程
なく光秀誅せられて藤孝都に のほりて織田殿父子の
御跡をとふらひ奉るこれより入道して 玄旨と称し
幽斉とそ号しけり 志津か嶽の軍に忠興秀吉に
方人し小牧の陣に北畠の勢と戦ひ紀伊の根来を
攻られしには藤孝忠興父子むかへり秀吉関白に任せ
られし時 忠興侍従従五位下越中守を兼ぬ筑紫
関東の軍に随ひ朝鮮にをしわたつて所々の戦に