伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 22

ページ: 22

翻刻

【右丁】 父子三人か年来の功を賞して丹後国を藤孝にて賜り けり此後は忠興つねに織田殿父子の軍にしたかつて 爰かしこに戦ふ明れは十年の夏織田殿明智日向守光秀 か為に討れたまふはしめより藤孝は丹後にあり忠興 此時山陽にむかはんとて本国にそ帰りたり明知【ママ】は忠興 か舅なりけれはやかて丹後に使たてゝ光秀年頃の 本意とけて織田殿父子うしなひぬおりふし摂津の 国闕国に侍れは忠興に参らする所也急き馳来て 力あはせ給ふへしといひしかは忠興父子大にいかつて 返答にも及はす信長の御為に髪をしきり二心なき由を 【左丁】 心の内にちかひ又忠興の妻に子ともつけて 山深き所に をしこめいそき秀吉のもとに使たつて共に心を合て 光秀を誅すへきよし牒状して 軍勢を催す程 なく光秀誅せられて藤孝都に のほりて織田殿父子の 御跡をとふらひ奉るこれより入道して 玄旨と称し 幽斉とそ号しけり 志津か嶽の軍に忠興秀吉に 方人し小牧の陣に北畠の勢と戦ひ紀伊の根来を 攻られしには藤孝忠興父子むかへり秀吉関白に任せ られし時 忠興侍従従五位下越中守を兼ぬ筑紫 関東の軍に随ひ朝鮮にをしわたつて所々の戦に