翻刻
【右丁】
取身の習ひ也あへて死を白刃の際に決して深く恩を黄泉
の下にわすれ奉るまし 今はよはひ既にかたふきぬ
たとへ此戦に死する事なからんにも余命又いくばくそや
されはおしかるましき身なるか故に 私の名誉をむさほつて
いかて王命にはそむき参らすへきと答奉りて頓て城
をさつて高野山にそおもむきける去ほとに上方にも
軍起れりと聞えしかは忠興等先陣を承り又引返して
美濃国に馳上り手合の戦にうちかつ徳川殿程なく
のほり玉ひ関ヶ原にして東西の戦を決す忠興又先
陣して敵の多勢をうちやふる杵築の城をまもつたる
【左丁】
大友か勢と戦てかちいくさす此時徳川殿の御為に家をも
身をもかへり見す御方せし人もとり〳〵なりけれと父子
兄弟夫婦主従みなこと〳〵く功をも節をも尽せし事
忠興にしくはなかりけりされはその勧賞にことし豊前
の国一円に下し給りぬ《割書:按するに忠興はしめ丹後の国十万|石を領しその後杵築の地五万石》
《割書:くはへられ此度豊前の国にうつりて三十七万石を領せり ◯忠興父の|入道かいかなる勅命なれはとて城をさりたる事の口惜さよ又嫡子与一郎か》
《割書:妻のいかに女の身なれはとてまさしくしうとめの自害せんを見捨て|おちたりし事 の不覚さよといかつて与一郎に命しその妻をきつと》
《割書:追出すへしといひけり与一郎仰つゝしみて 承りぬ某もかねてその|よしを存して きつと■【推?】閑に及し 所に 妻にて候もの幷に》
《割書:つきしたかひし輩か陳し候は事急なるに のそみて母上妻にて候者|にかゝるとき大勢打つれおちん事いかにもかなふへからすまつとく忍ひ》
《割書:出たまへかしやかて追つかめと仰ありしによつて家を出さり候かく御|自害あるへしともしりて候はんにはいかて忍ひは出つへきと申訖ぬ》