伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 30

ページ: 30

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【右丁】 御諱字を給り従四位下侍従兼越中守になされ綱利とて 名乗ける 中務少輔源立孝は参議忠興朝臣の二男なり肥後の国 宇土の城をわかち給ふ《割書:三万|石》正保二年閏五月 十一日に 卒すその子帯刀行孝家をつき承応二年十二月 廿八日丹後守に 任す 若狭守源利重肥後守光高【ママ】の二男父卒して後所領 わかち給ふ《割書:三万五千石 所領|の地 名しらす》万治三年十二月廿八日叙爵 玄蕃頭源興元藤孝入道の 二男也 童名は頓五郎生年 十四才にして兄忠興と共に河内の国片岡の城の先かけし 【左丁】 能首取て城を落せしより 一生の高名数多し藤孝丹後 に移りし時父に属して峯山の城に有小田原滅しとき 忠興と共に韮山の城を攻落し兄弟又文禄のはしめ 朝鮮に向て晋州の城をせめて名を外国にほとこしぬ 慶長五年関ゕ原の合戦に東国の御方して丹波の国 福地【「山」脱ヵ】城を攻落し忠興豊前の国に移りし時 興元も その国に移り慶長十四年に常陸の国茂木の地を給ひ 《割書:一万|石》大坂陣起りし時将軍家の御手にしたかひふたゝひ 軍起りしに 将軍の仰にて 酒井雅楽頭 忠世か軍勢下 知して戦はせをのか手の兵に首 十四きらせて献る其