翻刻
【右丁】
賞として常陸国谷田部【郡は誤】の地をくはへらる《割書:六千|石》其子玄蕃頭
興昌元和四年に家をつく《割書:興元か卒せし年月|いつにやいまたしらす》その子
豊前守興隆父につき老て後致仕入道して宗閑と号す
嫡子玄蕃興英家をゆつらる
【左丁】
加藤 《割書:付》 民部少輔明利
左馬助藤原嘉明は三河国の住人三之丞某か男也《割書:或書に 三|之丞広明》
《割書:としるす系図に見へ|ねは 其名覚束なし》嘉明か父はしめ徳川譜代の御家人たり
一向専修の門徒等か叛き参らせし時是も同き方人にて
永禄七年三河の国をさつて尾張国に至りそのゝち
終に羽柴殿に仕へてけり嘉明むつきの中に本国を去
成人の後これも秀吉につかふ生年 廿一歳近江の国柳
か瀬の合戦にさきかけし高名七人のそのひとり也《割書:ときに|孫六》
秀吉の御感 斜ならす今年天正十一年七月朔日勧賞を
給ふ《割書:五千石を|宛行はる》同き十三年 秀吉関白に任し給ひし時従五位