伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 35

ページ: 35

翻刻

【右丁】 切て連書せす大田毛利すてに 此儀に 同せされは軍 奉行の人々も 連書せす清正彼城のまもりなれは是も 書をくはへす三十余人の大名こと〳〵くに連書して本朝 に使たてゝ 殿下にこそ参らせたれ太閤此よしを御覧 して彼使者をめして一々に 尋究られもつての外に 御気色損し嘉明か申す所をふかく感仰られ御教書 をなされ年来の武勇を賞せられあまたの地をそくはへ 給りける《割書:三万七千石の地をくわへられ本領あはせて十万石此内一万|石の軍役をゆるしのそかれたり太田も 此時四万石くはへ》 《割書:られて七万五千石を領す思ふに毛利にも加恩あるへし本領|二万石の外に四万石をあつけたまひしといふ此時の賞にや》程ちか(な)【左側に◦◦】く 太閤薨したまひ大坂の奉行等 徳川殿うしなひ参らせん 【左丁】 由を聞てこれに来れる 人々も家悉く大坂には 東西 手合の軍なからんにはのほらせたまはぬこそ御理に覚ゆれ いさ〳〵まつ一軍して 御発向を催へき ものをとて 岐阜の城を攻らるへきに 議定せり去ほとに八月廿二日 追手 搦手二手にわかつて岐阜の 城にむかふ下野守殿 なを清洲の城に御陣をそめされける 明れは廿三日岐阜 城に押寄てすてに三の城を攻やふる 寄手の人々今は 大将軍のむかはせたまふにも 及ふへからす 只ひら攻に 攻やふれやとて つめの城に攻上り嘉明ひそかに井伊本多 とはかろふて守殿はせつかせたまひてこそ城をはつゐにくたし