翻刻
【右丁】
切て連書せす大田毛利すてに 此儀に 同せされは軍
奉行の人々も 連書せす清正彼城のまもりなれは是も
書をくはへす三十余人の大名こと〳〵くに連書して本朝
に使たてゝ 殿下にこそ参らせたれ太閤此よしを御覧
して彼使者をめして一々に 尋究られもつての外に
御気色損し嘉明か申す所をふかく感仰られ御教書
をなされ年来の武勇を賞せられあまたの地をそくはへ
給りける《割書:三万七千石の地をくわへられ本領あはせて十万石此内一万|石の軍役をゆるしのそかれたり太田も 此時四万石くはへ》
《割書:られて七万五千石を領す思ふに毛利にも加恩あるへし本領|二万石の外に四万石をあつけたまひしといふ此時の賞にや》程ちか(な)【左側に◦◦】く
太閤薨したまひ大坂の奉行等 徳川殿うしなひ参らせん
【左丁】
由を聞てこれに来れる 人々も家悉く大坂には 東西
手合の軍なからんにはのほらせたまはぬこそ御理に覚ゆれ
いさ〳〵まつ一軍して 御発向を催へき ものをとて
岐阜の城を攻らるへきに 議定せり去ほとに八月廿二日
追手 搦手二手にわかつて岐阜の 城にむかふ下野守殿
なを清洲の城に御陣をそめされける 明れは廿三日岐阜
城に押寄てすてに三の城を攻やふる 寄手の人々今は
大将軍のむかはせたまふにも 及ふへからす 只ひら攻に
攻やふれやとて つめの城に攻上り嘉明ひそかに井伊本多
とはかろふて守殿はせつかせたまひてこそ城をはつゐにくたし