翻刻
【右丁】
けれ《割書:両御所嘉明か人々を催して岐阜城攻父守殿をまつて城をおとせし事|をふかく悦はせたまひし也 世には村越りし時にこたへ申せし人を》
《割書:福島左衛門大夫といふはあやまり也此事悦はせ給ひ|大相国家の給りし御消息いまも その家に有と云也》かくて程なく徳川殿
はせのほらせ給ひて九月十五日美濃国関ヶ原にして東西の
戦を決せらる嘉明先陣を承て 石田三成か陣を打やふる
此年十一月伊予の国にしてあまたの地給ふて 其功を賞
せられてやかて松山の城をかまへてうつる《割書:十万石給り本領合て|二十万石を領せし也》
此後嘉明常に関東に伺候す同き十八年十一月十八日
将軍家その家に入らせ給ひ 物多く給り献し物又少な
からすはしめ大坂の兵起りし時その身は関東に留り子息
式部少輔明成闌勢を率してはせ向ふ再ひ兵起りしかは
【左丁】
将軍家の御陣にしたかひ明成又軍勢をひきゐ馳向つて
戦ひ首百九きつて献る此年元和元年嘉明従四位下に
叙す《割書:武家補任には寛永|二年の事 とす》同き八年九月十五日若君御鎧
着初の儀あり嘉明将軍家の仰を承て御介錯に参
希代の 面目とそ 聞へける《割書:此時大相国かねて嘉明をめされて|大納言家に御鎧を 召せ参らす》
《割書:へしとありしにしきりに辞し申す御ゆるしなかりしかはさらは家に|帰りよくおもひはかりてのち程こたへをは申へきにて候とて御前を》
《割書:まかり立頓て嘉明か子と孫とにいたるまてなかく二心を存すましきとの|起請文書てそ奉り 此上は 御免蒙るへきにて 候と申す 大相国家》
《割書:ふかく感しさせたまひ猶御ゆるし|なけれは終にしたかふと故き人の申せし也》寛永三年八月十九日侍従に
任し同き四年六月十日あまたの地つけて奥の会津の地
給て若松の城にうつる《割書:一倍の地くはへられて|四十万石領せしなり》又二男民部少輔