翻刻
【右丁】
明成か男明友を召出されて石見国安濃の郡にして所領
の地下し賜ふ《割書:山口一万石也○明成か室は保科弾正忠 正直の|娘にて 大御所の御外姪なるを 大相国家の仰と》
《割書:して尾張大納言義直卿の 御養君として あはせ給ひしか寛永十三|年の春かくれたまひき明友か母はいやしかりしによつてはゝかる所や》
《割書:ありけん家人堀部主膳正と云ものゝ子としたりしを|左大臣家しろしめされて父か時より見参に入しとなり》其後明友
叙爵して内蔵助に任す明成子息か所領に下り入道
して休意と号し年七十にて万治四年正月二十一日
死しけり
民部少輔藤原明利は左馬助嘉明か二男なり寛永
四年二月十日父嘉明陸奥会津の地を給ひしとき
明利同国三春の城を賜ひ《割書:三万|石》明る五年二本松の
【左丁】
城に移る《割書:本領のまゝ是は松下石見守|長綱にかはれる なり》十八年三月廿四日
明利卒し家絶《割書:明利男子四人とありしに明利なからへ|しうちに見参にも いれさりし かは》
《割書:家絶ぬと世にはいふ也 明利か卒せし時兄式部少輔明成 家人堀か|事にて家みたれしかはかれらの事につみせられて その事となく》
《割書:家絶しにや 明成か家ほろひし年の冬 明利か嫡男孫三郎を|めし出されて三千石賜ひし 廿三歳にて死したり子なけれは》
《割書:所帯收公せらる三【「二」の誤ヵ】男平八郎は舎兄に先たちて死したり三男|三左衛門四男 源左衛門ほとへて後に御家人にめし出されて 禄米》
《割書:千俵ツヽを|給ひし也》