伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 40

ページ: 40

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【右丁】 《割書:給ひし|といふ》鳥取冠城高松山崎志津か嵩大和国の戦等に さきかけして其功これ多けれは秀吉より所領の地賜ひ 秀長又新恩の地を加へらる《割書:秀吉より四千石秀長三百石を|賜ひすへて四千三百石と云》其後 勢州松か崎尾州小牧の功によりて秀長又所領の地を 加へ給る《割書:紀伊伊賀の国にて五千七百石 加|られ合て一万石を領せしといふ》かくて紀伊阿波等の 乱を平け筑紫の陣に日向国の先陣して敵をやふる初め 秀長大納言丹羽五郎左衛門尉長秀か二男仙丸を養ひて 子とす天正十六年に至て秀吉の仰にて仙丸を以て高虎 か子となされ藤堂宮内少輔高吉と申て 秀長又高吉に 所領の地をあたへらる《割書:こゝにおゐて高虎高吉父子|二万石の地を 領せし也》天正十九年 【左丁】 四月廿二日秀長薨して猶子 秀俊家をつきて中納言に 任し文禄元年朝鮮の軍起り秀俊 名護屋の陣に あり高虎軍の事を承る 二千人を引率して釜山に 陣し唐島を攻番船百四十余艘を取て首をきる事 百二十余その後釜山南海等の城攻落し同二年六月 晋州の城を攻やふる 高吉生年十六才みつから鑓とり 多くの敵をうつ同三年高虎高吉 父子帰朝す同 四年四月中納言秀俊薨せられしかは高虎もととり 切て高野山にのかる秀吉めされし事度々に及ひて 高虎大坂に参る頓て伊予の大洲の地給りて《割書:五万石を|くはへ》