翻刻
【右丁】
《割書:給ひし|といふ》鳥取冠城高松山崎志津か嵩大和国の戦等に
さきかけして其功これ多けれは秀吉より所領の地賜ひ
秀長又新恩の地を加へらる《割書:秀吉より四千石秀長三百石を|賜ひすへて四千三百石と云》其後
勢州松か崎尾州小牧の功によりて秀長又所領の地を
加へ給る《割書:紀伊伊賀の国にて五千七百石 加|られ合て一万石を領せしといふ》かくて紀伊阿波等の
乱を平け筑紫の陣に日向国の先陣して敵をやふる初め
秀長大納言丹羽五郎左衛門尉長秀か二男仙丸を養ひて
子とす天正十六年に至て秀吉の仰にて仙丸を以て高虎
か子となされ藤堂宮内少輔高吉と申て 秀長又高吉に
所領の地をあたへらる《割書:こゝにおゐて高虎高吉父子|二万石の地を 領せし也》天正十九年
【左丁】
四月廿二日秀長薨して猶子 秀俊家をつきて中納言に
任し文禄元年朝鮮の軍起り秀俊 名護屋の陣に
あり高虎軍の事を承る 二千人を引率して釜山に
陣し唐島を攻番船百四十余艘を取て首をきる事
百二十余その後釜山南海等の城攻落し同二年六月
晋州の城を攻やふる 高吉生年十六才みつから鑓とり
多くの敵をうつ同三年高虎高吉 父子帰朝す同
四年四月中納言秀俊薨せられしかは高虎もととり
切て高野山にのかる秀吉めされし事度々に及ひて
高虎大坂に参る頓て伊予の大洲の地給りて《割書:五万石を|くはへ》