翻刻
【右丁】
《割書:られて七万石|を領すと云》慶長二年 八月高虎高吉ふたゝひ朝鮮に
渡りて南京の城をせめ首二百六十九をうつて献る蔚山
の後巻せしに 至て高吉又先をかけて敵をやふる 同
三年六月父子共に召帰され所領地をくはへ給りて勲功
を賞せらる《割書:一万石を|加へらる》此年八月十八日 太閤薨したまひし
かは宗徒の人々大坂の奉行等と本領の軍勢を返さる
へき事を議して其使を撰はる 徳川殿此高虎にしく
もの有へからすと仰られしかは衆議もまた一決して高虎
使の事を承る扨も徳川殿高虎其任に 当れる事を
しろしめされしは むかし初て御上洛有し時関白悦ひ
【左丁】
たまふ事大かたならす舎弟秀長大納言の家を御旅館
となさる高虎其家人たりしかは御儲の事共をうけ給る
関白殿此後もをり〳〵の上洛は有へけんなれは徳川殿の
御館なくしてもかなふへからす聚楽の地を点して御館
造出してまいらすへき也 秀長卿に仰られしかは高虎
又経営の事をつかさとりしより日々に親しく伺候せし
かはかれか心の底をもよくしろしめしかれも又徳川殿の
御なさけに感し奉る事多かりきかくて我朝の諸軍勢
事故なく帰朝しき程なく大坂の奉行等ひそかに謀て
徳川殿うしなひ参らせんとす 高虎是を聞ていそき