翻刻
【右丁】
侍従に任し同三年八月十九日左少将に転し年七十五歳にて
同き七年十月五日に卒しけり
左少将高次高虎か男はしめいとけなかりし時 伏見の御館
にて大御所の見参に入慶長十一年正月廿八日関東に参て
将軍家に見参し元和二年正月廿五日 大学頭従五位下に
なされ父か家継て寛永十一年七月十六日 従四位下に叙し
侍従に任し寛文六年十二月廿八日左少将に転し同九
年九月廿九日致仕し延宝四年十二月十六日卒す其子
従四位下和泉守高久家をゆつられ此年寛文九年十二月
廿五日侍従に任す
【左丁】
佐渡守藤原高通 高次か二男なり 伊勢の国久居の地
をわかちゆつらる《割書:五万石○ 高次か三男庄三郎某も 三千石|の地をわかちゆつりしなり》
《割書:付り》
藤堂宮内少輔高吉は丹羽五郎左衛門尉長秀か三男初名
仙丸天正十年の春大閤秀吉いまた羽柴筑前守たりし時
長秀か家に酒宴せられし同舎弟秀長に男子なし御子
一人給るへしとて仙丸か四才たるを給ふて秀長の子とす此年
六月信長うたれ給ひし後柴田 羽柴不快の事起り長秀柴田
としたしくして領国又城をましへたれは頓て 仙丸をとりて
但馬の出石の城に置れ長秀か柴田に組すましき事を