伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 46

ページ: 46

翻刻

【右丁】 謀れる也明れは天正十一年秀吉柴田を討て長秀か与力せし か故なれは悦ふ事限なく仙丸も又秀長の寵愛浅からす 仙丸十歳の時に及ひ秀吉の仰とて藤堂佐渡守高虎か子に なされて藤堂宮内少輔高吉とめさる高吉養父高虎と共に 朝鮮の軍に度々の高名を顕し関か原の戦の時父と共に 関東の御方としてみつからに戦ふ高虎所領の地を賜りし時 本領たれは高吉又二万石の地をわかち領すその後高虎 高次をうみて実子なれは高次父か跡をつく高吉はつゐに 家臣の如くになりはてゝ其子孫今も藤堂の家にあり 【左丁】     森  付 関備前守長政 左中将兼美作守 源忠政は三左衛門尉可成か六男舎兄 武蔵守長一か嗣をはしめ陸奥守義家朝臣の六男 守六郎義隆の末葉美濃国の住人守左衛門尉泰家 当国の守護土岐伯耆守頼貞属せしより累代の 子孫彼家の被官たり 天文年中土岐兵部大夫定朝か亡ひし 時泰家九代の孫左衛門尉泰政戦死す三左衛門尉可成は 泰政か嫡男也 三左衛門 可成初斎藤山城入道道三に 随ひ其後織田上総介信長の家人となされぬ織田殿美濃 の国を随かへ今川の多勢を破り義元を討武威近国に