翻刻
【右丁】
謀れる也明れは天正十一年秀吉柴田を討て長秀か与力せし
か故なれは悦ふ事限なく仙丸も又秀長の寵愛浅からす
仙丸十歳の時に及ひ秀吉の仰とて藤堂佐渡守高虎か子に
なされて藤堂宮内少輔高吉とめさる高吉養父高虎と共に
朝鮮の軍に度々の高名を顕し関か原の戦の時父と共に
関東の御方としてみつからに戦ふ高虎所領の地を賜りし時
本領たれは高吉又二万石の地をわかち領すその後高虎
高次をうみて実子なれは高次父か跡をつく高吉はつゐに
家臣の如くになりはてゝ其子孫今も藤堂の家にあり
【左丁】
森 付 関備前守長政
左中将兼美作守 源忠政は三左衛門尉可成か六男舎兄
武蔵守長一か嗣をはしめ陸奥守義家朝臣の六男
守六郎義隆の末葉美濃国の住人守左衛門尉泰家
当国の守護土岐伯耆守頼貞属せしより累代の
子孫彼家の被官たり 天文年中土岐兵部大夫定朝か亡ひし
時泰家九代の孫左衛門尉泰政戦死す三左衛門尉可成は
泰政か嫡男也 三左衛門 可成初斎藤山城入道道三に
随ひ其後織田上総介信長の家人となされぬ織田殿美濃
の国を随かへ今川の多勢を破り義元を討武威近国に