翻刻
【右丁】
物をと思ひさため舎弟千之助につきたるへきよし一封
の書にしるし秀吉の方に残して四月九日長湫の
戦にうち死せり のち秀吉此書を見てさて兼て
より我為に死を決してけりとふかく感し遺言に
任せ舎弟に家つかせ羽柴名のらせて右近大夫となし
忠政とめすあくれは 十三年七月みつから関白せし
時忠政にも侍従させ 我姪をもつて彼妻と せらる
同き十八年信濃国川中島の城にうつる 《割書:十二万|石》
太閤薨し給ひし後大坂の奉行等 ひそかに軍勢を
催し徳川殿のまします 伏見の御館を襲んとす
【左丁】
徳川殿の御方にもあまたの大名はせあつまりて
御館を守護しまいらせんとすかくては中〳〵世の
さはきとそなるへしとてまつ人々をは帰さる忠政壱人
人々にをくれ遠侍に伺候してをのか館には帰らす
徳川殿此よしを聞し召かさねて 御対面ありて
そのこゝろさしを感したまふ事浅からずほとなく
東西の軍一時に起りし時忠政はしめ東国に馳下り
又引返し中納言殿の御供して山道をのほり真田安房守
昌幸をふせかん為本国に留る慶長八年二月六日美
作国を給てうつる《割書:十八万六|千五百石》大坂前後の軍に随て