伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(七・下) - 翻刻

藩翰譜(七・下) - ページ 7

ページ: 7

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【右丁】 地をさして攻下るへしと聞ゆ政宗まつ太宰金七と云 家子して秀吉の軍のやうをうかゝふ北条か滅ん事遠からす さらはとて郎等遠藤楽【ママ】入斎を使者として初て関白に 音信を通す急き政宗御陣に参り向ふへき由仰下さる 頓て家の子郎等百騎をくして天正十八年六月本国 をうつたち下野国にさしかゝり小田原におもむく道 ふさかつて通りえす南山の内大内といふ所より引かへし 越後国へかゝり日数へて小田原に至る関白まつ底倉と いふ山の中に旅館転して政宗を入らる政宗二十余 の男の眼かたくなる髪短くおし切てうちかふり其 【左丁】 かたち甚異体也 関白しれものと聞召て対面の義なく やゝあつて後使者を以て尋問るゝ旨あり 抑秀吉 かたしけなくも塩梅の臣になり博陸の職に任せし より此かた普天の下率土の浜 凡そ王命をおもはん するほとのもの我門に祗候する輩 千里を遠しと せす然るに政宗累代の家をうけつき数郡の地を 押領し終に一度の使をたに参らせす毎に 隣国の大名と地をあらそひ兵をかまへ中にも故三浦介 盛隆《割書:蘆|名》さしも当家に志深かりしに 彼家を滅 して会津仙道十一郡の地を合せうはふの条 甚