翻刻
【右丁】
白子幸太夫彼地え漂着に従(シタカヒ)ひし加子の者の内
彼地に居残り此者此書を認しと見へり然共/渠(カレ)等は
軽き者共にて上へ呈(テイ)じ候書/翰(カン)文意(フンイ)認め得へき
者共に非(アラス)す夫故是以分らす但し異国(イコク)は上下の無
差別度/量(リヤウ)広才(コウサイ)なれは進士(シンジ)及第(キウタイ)して高/官(クワン)
にも昇(ノボル)も日本は左に非す呉家(ゴカ)ならすはすゝます
仍て上下共に大に差別有事也魯西亜人ヶ様の子細
智ましけれは書翰を認させしと見へたり何れ
にもせよ呈書壱通也と心得へし
【左丁】
右之趣に付江戸表御 伺(ウカヽイ)に相成に付成瀬因幡守殿交代/出立(シユツタツ)も
延引手当とし 黒田《割書:松平官兵衛殿筑前国|福岡国主五十弐万石余》 鍋島《割書:松平肥前守殿|佐嘉国主》
三十五万七千石大村上総介殿《割書:肥前国大村城主弐万|七千九百七十石余也》人数差出され
番船数十艘を以右船を遠固(トヲカタ)め致両御奉行
手付幷夫々懸り役人日々/出役(シユツヤク)舟改(フナアラタメ)昼夜見廻り
市町中は勿論(モチロン)非常(ヒジヤウ)を制(セイ)し右固め之大名は勿論
細川/越中(エツチウノ)守殿《割書:肥前国■本の城主|五十四万石》【注】 松浦壱岐守殿《割書:肥前国平戸城主|六万千七百石》
水野左近将監殿《割書:肥前国唐津|城主六万石》を始め九州之諸家之使者
【注 「肥後国熊本の城主」の誤ヵ】