翻刻
粉雪(こゆき)にてふらぬ日にても風に吹立(ふきたて)られて雪吹(ふゞき)
の如し況(いはん)や降(ふる)日には忽(たちまち)に一二尺つもるは暫時(ざんじ)
のこと也 依(これに)_レ之(よつて)道路(だうろ)人跡(じんせき)の目(め)あて更(さら)になし
公用(かうよう)の人(ひと)は雪踏人足(ゆきふみにんそく)を召(めし)て先々(さき〴〵)を案内(あんない)さ
すれども唯(たゝ)の旅人(りよじん)はそれもならず道(みち)問ふへき
人も稀(まれ)なり終(つい)に道(みち)を見うしなひて本道(ほんだう)に
出(いづ)ることあたはずして迷(まよ)ふ人まゝあり因而(よつて)雪(せつ)
中(ちう)の旅(たび)は譬(たとひ)上戸(しやうご)なりとも大酒(たいしゆ)決(けつ)してすべ
からす大酒(たいしゆ)すれは身(み)熱(ねつ)して雪吹(ふぶき)を事(こと)とも
せぬ心地(こゝち)になれども山野(さんや)の満雪(まんせつ)道路(だうろ)は勿(もち)
論(ろん)田(た)も畑(はた)もなく一面(いちめん)の平地(ひらち)となるゆへ酔体(すいたい)の
元気(けんき)にて方角(ほうかく)を失(うしな)ひ深(ふか)き溝洫(みそほり)に落入(おちいり)て
終(つい)にこゞえ死(しぬ)人(ひと)多(をほ)し夜分(やぶん)は別而(へつして)道筋(みちすじ)見へず
依(これに)_レ之(よつて)朝飯(あさめし)程(ほど)よくしたゝめ外(ほか)に中食(ちうじき)の焼飯(やきいゝ)を
貯(たくはへ)て空腹(くうふく)にならぬやうに心懸へし空腹なれば
厳寒(げんかん)に冒(おかさ)れて神魂(しんこん)気力(きりよく)も尽果(つきはて)て終(つい)に雪(ふ)
吹(ぶき)にあひ絶倒(ぜつたう)することあり故に酒に酔(よい)ざれば
たとひ雪吹(ふゞき)にしまかれて一夜を明すとも命(いのち)に
及(およ)ふ事なし奥越(をうゑつ)の人まゝ雪吹にあふて寒(こゝえ)
死(し)する人多く上戸(しやうご)にて大酔(たいすい)の上(うへ)なる由(よし)語(かた)れり