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翻刻
即(すなは)ち一乗止観院(いちぜうしくわんいん)と号(がう)し。始(はじめ)て天台宗(てんだいしう)を立(たて)られ是(これ)より日枝山(ひえざん)を改(あらた)め比叡山(ひゑいざん)と号(なづ)け
られける。是(これ)叡慮(ゑいりよ)に比(くらぶ)るとの義(ぎ)をとれるなりとぞ。後年(こうねん)最澄(さいてう)入寂(にふじやく)の後(のち)弘仁(かうにん)十四年
額(がく)に往昔(そのかみ)の年号(ねんがう)の字(じ)を勅免(ちよくめん)あつて寺号(じがう)を延暦寺(えんりやくじ)とぞ号(なづけ)給(たま)ひけり。此山(このやま)中華(もろこし)
の天台山(てんだいさん)四明(しめい)が洞(ほら)に似(に)たりとて。天台山(てんだいさん)とも。又 四明(しめい)が洞(ほら)とも呼(よび)けり。東塔(とうたふ)西塔(さいたふ)横河(よかは)を三
塔(たふ)と号(がう)し。又 西塔(さいたふ)に双輪撐(そうりんたふ)【𢴤は俗字】を建(たて)しは。是(これ)妙輪(めうりん)を転(てん)じ迷路(めいろ)を開(ひら)謂(いはれ)にて。仏法(ぶつほふ)
守護(しゆご)の表(しるし)とかや抑(そも〳〵)釈最澄法師(しやくのさいてうほふし)と申は。俗性は三津氏(みつうし)にて父(ちゝ)は近江国(あふみのくに)滋賀郡(しがごほり)の
人なり其(その)曩祖(おほせんぞ)は後漢(ごかん)の献帝(けんてい)の末裔(ばつゑい)なり。献帝(けんてい)は魏(ぎ)の曹丕(そうひ)のために弑(しい)せられ玉
ひ。其(その)子孫(しそん)流落(りうらく)して日本(につほん)へ渡(わたり)しを。人皇(にんわう)十六代 応神天皇(おふじんてんわう)。渠(かれ)が王孫(わうぞん)にて零落(れいらく)せし
を憐(あはれ)み給ひ。江州(がうしう)滋賀郡(しがごほり)にて采地(さいち)を給(たま)はりしより。其地(そのち)に居住(きよぢう)し代々(だい〳〵)滋賀(しが)の郷士(がうし)也
最澄(さいてう)が父(ちゝ)を三津百枝(みつのもゝえ)と呼(よび)頗(すこぶ)る学才(がくさい)ありて。仏書(ぶつしよ)儒書(じゆしよ)を歴覧(れきらん)して博識(はくしき)なり
ければ。里俗(ところのもの)甚(はな)はだ百枝(もゝえ)を尊敬(そんけい)しけり。然(しかる)に百枝(もゝえ)五十才に過(すぐ)るまで一 子(し)なきを歎(なげき)