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を奉(たてまつ)り給ひ大同四年を改(あらた)め弘仁(こうにん)元年と改元(かいげん)ありける其年(そのとし)の秋(あき)太上天皇(だじやうてんわう)の御
望(のぞみ)によつて奈良(なら)の旧都(きうと)に宮室(きうしつ)を造営(ぞうゑい)あらんとて。諸国(しよこく)より工匠(かうせう)および諸職人(しよしよくにん)
二千五百人を召上(めしのぼ)され。坂上田村丸(さかのうへたむらまる)藤原冬継(ふぢはらのふゆつぐ)を造営使(ぞうゑいし)とし藤原仲成(ふぢはらのなかなり)を
奉行(ぶぎやう)として経営(けいゑい)を急(いそ)がせ給ひければ。宮殿(きうでん)速(すみやか)に成就(じやうじゆ)し同年(どうねん)十一月 太上皇(だじやうかう)平城(なら)
の新宮(しんきう)へ遷幸(せんかう)【迁は俗字】なし給ふに就(つき)院参(いんざん)の公卿(くげう)皆(みな)供奉(ぐぶ)せられけり。其後(そのゝち)嵯峨天皇(さげてんわう)も
平城(なら)の新宮(しんきう)へ鳳輦(ほうれん)を環(めぐら)し給ひて。宮室(きうしつ)の成就(じやうじゆ)を賀(が)し給ふ。是(これ)朝覲(てうきん)の御幸(ごかう)の
起源(はじまり)なり。此年 右大臣(うだいじん)内麻呂(うちまろ)に紫(むらさき)の朝服(てうふく)を勅許(ちよくきよ)ありける。是(これ)大臣(だいじん)紫服(しふく)を着(ちやく)
する始(はじめ)なり。然(しかる)に太上天皇(だじやうてんわう)はさしも聖明(せいめい)の君(きみ)にておはしましけるに。伊予親王(いよのしんわう)の怨霊(おんれう)
障碍(せうげ)をなしけるゆへにや。平城(なら)の仙洞(せんとう)へ遷(うつ)【迁は俗字】り給ひし後(のち)は放心(ほうしん)し玉【「ひ」脱ヵ】しごとく。御 僻事(ひがこと)
多(おほ)く以前(いぜん)の明徳(めいとく)薄(うす)らぎ給ひ。御 在位(ざいゐ)の時(とき)より寵愛(てうあい)なし給ふ藤原仲成(ふぢはらのなかなり)が妹(いもと)の尚(せう)
侍(し)薬(くすり)子とて容顔(ようがん)美麗(びれい)なる婦人(ふじん)有(あり)けるが。此(この)薬子(くすりこ)面貌(めんほう)は衆(しゆ)に勝(すぐれ)けれども性(せい)