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とも天年(てんねん)を終(おへ)ず首(かうべ)を梟木(けうぼく)に掛(かけ)られて鳶(とび)烏(からす)に啄(ついば)まれ。屍(かばね)を野外(やぐわい)に捨(すて)られて狗(いぬ)狐(きつね)
の餌(ゑば)となり。臭名(しうめい)を万代(ばんだい)に遺(のこ)せるも其身(そのみ)の不良(ふりよう)より起(おこ)る所(ところ)なり慎(つゝしむ)へし恐(おそ)るべし
天皇(てんわう)賀茂斎院(かものさいいんへ)【齊は誤記ヵ】御幸(みゆき) 有智子斎院(うちしさいいん)詩作条(しさくのくだり)
弘仁(かうにん)二年 嵯峨天皇(さがてんわう)の皇女(くわうによ)有智子内親王(うちしないしんわう)を以(もつ)て賀茂斎院(かものさいいん)となし。伊勢斎宮(いせのさいぐう)
に准(じゆん)じ給ふ。是(これ)賀茂(かも)に斎院(さいいん)を置(おき)給ふ始(はじめ)なり此うち有智子内親王(うちしないしんわう)と申は女儀(によぎ)ながらも
御 幼少(ようせう)の時(とき)より文学(ぶんがく)を好(この)み給ひ御 年若(としわか)く在(ましま)す頃(ころ)已(すで)に和漢(わかん)の書籍(しよじやく)に通(つう)じ給ひ
兼(かね)ては詩文(しぶん)を善(よく)したまひけるゆへ。御 父帝(ちゝみかど)殊更(ことさら)鐘愛(せうあい)し給ひけり。後年(こうねん)にいたり弘仁(かうにん)
十四年の春(はる)帝(みかど)賀茂(かも)の斎院(さいいん)【斉】の山荘(さんそう)へ御 幸(ゆき)在(ましま)し。花(はな)の宴(えん)を催(もよほ)し給ひ春日山荘(しゆんじつさんそう)といふ
題(だい)を出(いだ)され供奉(ぐぶ)の月卿雲客(げつけいうんかく)に詩(し)を賦(ふ)せ給ふ。是(これ)に依(よつ)て列位(おの〳〵)韻(いん)を探(さぐ)り礎(そ)を定(さだめ)
けるに有智子斎院(うちしさいいん)も塘光行蒼(とうくわうぎようさう)の四字(よじ)を探得(さぐりえ)給ひ少時(しばらく)のうちに七 言律(ごんりつ)の
詩(し)を賦(ふ)し給ひ即時(そくし)に箋(せん)を払う(はらひ)て毫(ふで)を染(そめ)給ふ。一 座(ざ)の公卿(こうけい)其(その)速(すみやか)なるを駭(おどろ)き感(かんじ)