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向(むか)はるゝに賊軍(ぞくぐん)田村丸(たむらまる)が下向(げかう)すると聞ては。其(その)叶(かな)ひがたきを知(しつ)て戦(たゝかは)ざる以前(いぜん)に退(しりぞ)き
去(さり)或(あるひ)は降参(かうさん)し。適(たまたま)拒敵(てきたふ)者は滅亡せざるはなかりき。一年(ひとゝせ)上皇(じやうかう)御謀叛(ごむほん)の砌(みぎり)にも藤(ふぢ)
原仲成(はらなかなり)を追蒐(おつかけ)て一声(ひとこゑ)呼(よば)はりしかば。其声(そのこゑ)に恐(おそ)れて仲成(なかなり)が馬(むま)痓(すく)み主(ぬし)は戦慄(おのゝき)て働(はたら)
く事 能(あた)はざりしを以(もつ)て其(その)威武(いぶ)を知(しる)べし。昔(むかし)晋(しん)の世(よ)に蔡裔(さいえい)といふ豪傑(がうけつ)ありて
力量(りきれう)胆略(たんりやく)衆(しゆう)に勝(すぐ)れ。声(こゑ)雷(らい)の如(ごと)くなりけるが。蔡裔(さいえい)衮州(こんしう)の刺吏(しし)【史の誤記ヵ】となりける比(ころ)天(てん)
下(か)に名(な)を得(え)たる強盗(がうどう)二人 蔡裔(さいえい)が家(いへ)へ窃入(しのびいり)て貨財(たから)を偸取(ぬすみとら)んと梁(うつばり)の上に身(み)を
潜(しの)び窺(うかゞ)ひ居(ゐ)けるに。蔡裔(さいえい)是(これ)を知(しつ)て床(ゆか)を拊(うつ)て大音(だいおん)に。鼠賊(そゞく)大胆(だいたん)にも我(わが)財(たから)を偸(ぬすま)
んとするやと呼(よば)はりければ。二賊(にぞく)其声(そのこゑ)に駭(おどろ)きて梁(うつばり)の上より下へ倒(どう)ど落(おち)忙然(ぼうぜん)として
起(たつ)事(こと)能(あた)はず。蔡裔(さいえい)大いに笑(わら)ひ。偖(さて)も臆病(おくびやう)なる賊(ぬすびと)どもかな。今は一 命(めい)を助(たす)け帰(かへ)し
得(え)さすべし。再(ふたゝ)び我家(わがや)へ忍入(しのびいる)事 勿(なか)れ疾々(とく〳〵)帰去(かへりされ)よと言(いひ)けれども。二人とも脚(すね)痿(なへ)て立去(たちさり)
得(え)ず蠢(うごめ)きけるにぞ。蔡裔(さいえい)見かねて二人を狗子(いぬのこ)なんどの如(ごと)く両手(りやうて)に抓(つかみ)提(さげ)て門外(もんぐわい)へ