Gallicaの日本資料を翻刻!

コレクション: コレクション1

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ページ: 224

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と見て夢(ゆめ)覚(さめ)たり。空海師(くうかいし)大いに歓喜(くわんぎ)ありて。急(いそ)ぎ和州(わしふ)久米(くめ)の道場(どうぢやう)へいたり東(とう) 搭(とふ)の内陣(ないぢん)に入て求(もとめ)らるゝに。果(はた)して大 毘盧射遮那経(びるしやなきやう)と題(たい)せし経巻(きやうくわん)有(あり)けるゆへ 頓(とみ)に緘(ひも)を解(とい)て閲(けみ)せられけるに猶(なを)も疑(うたが)ひの解(とけ)ぬ所(ところ)ありければ。今は本朝(ほんてう)にて 疑惑(ぎはく)を問(とひ)明(あきら)むべき方(かた)もなし。此上(このうへ)は唐土(とうど)へ渡(わた)りて名僧(めいそう)を尋(たづね)求(もとめ)胸中(けうちう)の 疑(うたが)ひを解(とか)んものと。始(はじめ)て入唐(につとう)の望(のぞみ)をぞ発(おこ)されける。扨(さて)二十四才の年 三教指皈(さんけうしき) の清書(せいしよ)をせられ二十七才にて阿州(あしう)大滝山(だいりうざん)を開基(かいき)ある。其後(そのゝち)三十一才の時(とき)桓武(くわんむ) 天皇(てんわう)藤原葛野丸(ふぢはらのかどのまる)を遣唐使(けんとうし)に立(たて)給ふ。副使(ふくし)は石川道益(いしかはみちます)判官(はんぐわん)は菅原清(すがはらのきよ) 公(とも)録事(ろくじ)は浅野鹿取(あさのかとり)なり是(これ)に依(よつ)て空海師(くうかいし)求法(ぐほふ)の為(ため)に入唐(につとう)せまほしき旨(むね) を願(ねが)はれけるに。則(すなは)ち勅許(ちよくきよ)ありけるゆへ葛野丸(かどのまる)の船(ふね)に同船(どうせん)ありけり。此時(このとき)に釈(しやくの) 最澄(さいてう)《割書:伝教(でんげう)|大師》学士(がくし)橘逸成(たちばなのはやなり)も同船(どうせん)を願(ねが)ひ入唐(につとう)せられける。時(とき)に延暦(えんりやく)二十三年六 月上旬(じやうじゆん)遣唐使(けんとうし)以下(いげ)の船(ふね)肥前国(ひぜんのくに)松浦(まつら)より出帆(しゆつはん)し。海上(かいしやう)障(さはり)なく八月十日に唐(もろ)