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にて取敢(とりあへ)ねば為方(せんかた)なくて立出(たちいで)所々(しよ〳〵)を尋(たづね)さまよひ漸(よふ〳〵)七世(ひちせ)の孫(まご)に尋(たづね)あたりて事(こと)
問(とふ)に。其者(そのもの)が曰。昔(むかし)先祖(せんぞ)なる者 天台山(てんだいさん)に入て薬(くすり)を採(とり)しに其儘(そのまゝ)帰(かへら)ずと聞(きけ)り。今
よりは二百 余年(よねん)昔(むかし)の事なりと語(かたり)けるにぞ。劉晨(りうしん)阮肇(げんでう)駭然(がいぜん)として大いに驚(おどろ)き忽(たちま)
ち緑(みどり)の髪(かみ)も白髪(はくはつ)となり若(わか)やかなりし面(おもて)も老翁(らうおう)と変(へん)じ。両人(りようにん)とも地(ち)に仆(たほれ)て泣(なき)悲(かなし)
みけるが其後(そのゝち)行方(ゆきがた)しれずなりけるとぞ。是(これ)誠(まこと)に倭国(わこく)の浦島(うらしま)と同日(どうじつ)の談(だん)にて
和漢(わかん)とも怪(あや)しき事も絶(たへ)てなしとも言(いひ)がたかりけり
仁明天皇(にんめうてんわう)御即位(ごそくゐ)大礼(たいれい) 小野篁(をのゝたかむら)流罪(るざい)の条(こと)
天長(てんてう)十年二月 淳和(じゆんわ)天皇 帝位(みくらゐ)を春宮(とうぐう)正良親王(まさよししんわう)に譲(ゆづ)らせ給ひ。御 身(み)は西院(さいいん)に
遷(うつ)り住(すま)せ玉へり。正良親王(まさよししんわう)登極(とうきよく)し給ひ此君(このきみ)を仁明(にんめう)天皇と申(まうし)奉(たてまつ)る是(これ)嵯峨(さが)天
皇(わう)第(だい)二の皇子(みこ)にて。御 母(はゝ)は檀林皇后(だんりんかうごう)嘉智子(かちし)とて橘諸兄(たちばなのもろえ)卿(けう)の苗裔(べうえい)太政大臣(だじやうだいじん)
清友(きよとも)公(こう)の御 女(むすめ)なり。先帝(せんてい)《割書:淳|和》の皇子(わうじ)恒貞親王(つねさだしんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)給ひ。嵯峨(さが)天皇を前(さきの)