Gallicaの日本資料を翻刻!

コレクション: コレクション1

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ページ: 390

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    光孝天皇(くわうかうてんわう)御即位(ごそくゐ)  行平(ゆきひら)《振り仮名:詠_二述懐歌_一彼_レ為_レ謫|じゆつくわいのうたをよみててきせらる》条 時康親王(ときやすしんわう)は基経公(もとつねこう)の吹挙(すいきよ)に依(よつ)て遂(つひ)に人皇(にんわう)五十八代の帝(みかど)と崇(あが)められ給ふ。是(これ)を 光孝天皇(くわうかうてんわう)と申 奉(たてまつ)れり則(すなは)ち仁明天皇(にんみやうてんわう)の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は贈太政大臣(ぞうだじやうだいじん)総継公(ふさつぐこう)の 女(むすめ)沢子(たくし)と申せり。先年(さきつとし)渤海国(ぼつかいこく)の使者(ししや)王文矩(わうぶんき)といふ者 時康親王(ときやすしんのう)を相(さう)して 此皇子(このみこ)大いに貴相(きそう)あり後年(こうねん)必然(かならず)天位(てんゐ)に即(つき)玉ふべしと言(まうし)けるを。其(その)砌(みぎり)は諸人(しよにん)信(しん)ぜ ず。王文矩(わうぶんき)相法(さうほふ)に疎(うと)【踈は譌字】しと誹謗(そしり)けるが。其言(そのことば)のごとく今 晩年(ばんねん)にして帝祚(ていそ)を践(ふみ)たまひ けるにぞ。諸人(しよにん)初(はじめ)て王文矩(わうぶんき)が先見(せんけん)の明(あきら)かなるを感(かん)じけり。又 藤原仲実(ふぢはらのなかざね)といふ人よく 人を相(さう)しけるが。密(ひそか)に其(その)舎弟(しやてい)宗直(むねなほ)に向(むか)ひ。你(なんじ)時康親王(ときやすしんわう)によく〳〵心を小(せめ)て仕(つか)へ奉れよ 彼君(かのきみ)の骨格(こつかく)尋常(よのつね)にあらず。後(のち)必(かなら)ず帝王(ていわう)にならせ給ふべしと言(いへ)り。是(これ)また王文矩(わうぶんき) に劣(おとら)ざる相法(さうほふ)の達人(たつじん)といふべし。去程(さるほど)に光孝(くわうかう)天皇 元慶(げんけい)八年二月三日に御 即位(そくゐ)在(まし) まし同年(どうねん)十一月 大嘗会(だいぜうゑ)を執行(とりおこな)はれ。翌年(よくねん)正月 仁和元年(にんわげんねん)【ママ】と改元(かいげん)あり。先帝(せんてい)《割書:陽|成》に太上(だしやう)