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天皇(てんわう)の尊号(そんがう)を贈(おく)り玉ひ。基経公(もとつねこう)の摂政(せつしやう)を止(やめ)られ関白(くわんばく)となし給ふ。是(これ)本朝(ほんてう)関白(くわんばく)の権与(はじめ)
なりそれ摂政(せつしやう)は摂(おさ)め統(すぶ)るの義(ぎ)にて帝(みかど)御 幼稚(ようち)に在(ましま)すか或(あるひ)は女帝(によてい)か。若(もし)くは先帝(せんてい)の如(ごと)
く睿慮(ゑいりよ)不正(ふせい)の君(きみ)か。御 病身(びやうしん)にて朝政(まつりごと)を聴(きゝ)給ふ事 能(あた)はざる時(とき)の宦職(くわんしよく)なり。関白(くわんばく)は
後漢(ごかん)の代(よ)より始(はじま)りすなはち関白(あづかりまうす)と訓(よむ)字義(じぎ)にて。是(これ)君(きみ)の裁判(さいばん)し給ふ事を関白(あづかりまう)して
下(しも)へ通達(つうたつ)する宦職(くわんしよく)なり。主上(しゆぜう)光孝(くわうかう)天皇は基経公(もとつねこう)より御 年(とし)長(てう)じ給へば。摂政(せつせう)は無用(むよう)の
宦名(くわんみやう)ゆへ是(これ)を止(やめ)られ関白(くわんばく)とはなし玉へり其後(そのゝち)関白基経公(くわんばくもとつねこう)に摂津国(せつつのくに)の内(うち)にて遊猟(ゆふれう)の地(ち)
を賜(たまは)り剰(あまつさ)へ基経公(もとつねこう)の五十の賀(が)を禁中(きんちう)にて執行(とりおこな)はせ給ひ。基経公(もとつねこう)の御子 時平卿(ときひらけう)十六才
に成(なら)れけるをも。禁中(きんちう)にて元服(げんぶく)させ給ひ。主上(しゆぜう)御 手(て)づから冠(かむり)を加(くは)へ給ひけり。誠(まこと)に前代(ぜんだい)いまだ例(ためし)
なき義(ぎ)と諸人(しよにん)羨(うらや)み思(おも)はざるはなかりける。同年(どうねん)十二月 仁寿殿(にんじゆでん)に於(おい)て僧正(そうぜう)遍照(へんぜう)に七十の賀(が)
を給(たま)ひけり。是(これ)は遍照(へんぜう)いまだ良峯宗貞(よしみねのむねさだ)と言(いひ)し頃(ころ)彼(かの)渤海(ぼつかい)の使者(ししや)王文矩(わうぶんき)が来朝(らいてう)せし
時(とき)宗貞(むねさだ)其(その)饗応(けうおう)の役(やく)を勤(つと)め。時康親王(ときやすしんわう)とも同席(どうせき)して睦(むつま)じく交(まじは)り進(まい)らせし御 好身(よしみ)を