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霊(れう)の所為(わざ)なるべしと沙汰(さた)しけり。右(みぎ)等(とう)の事を先(さき)として。或(あるひ)は血(ち)に染(そみ)裸体(あかはだか)なる女の停立(たゝずみ)たる
を見し者もあり。或(あるひ)は無首(くびなき)骸(むくろ)の歩行(ほかう)するを見し者もあり。其(その)風説(とりさた)宮中(きうちう)宮外(きうぐわい)に隠(かくれ)なく
女房(にようばう)達(たち)は怕(おそれ)惑(まど)ひ帝(みかど)も睿聞(ゑいぶん)在(ましま)して患(うれ)ひ給ひけるに。仁和(にんわ)三年 秋(あき)の初(はじめ)より重(おも)き御悩(ごのふ)に
染(そま)せ給ひけり。百宦(ひやくくわん)百司(ひやくし)大いに駭(おどろ)き。諸寺(しよじ)諸社(しよしや)に命(めい)じて加持(かじ)祈祷(きとう)を修(しゆ)せしめ和気丹(わけたん)
波(ば)の医宦(いくわん)は良剤(りようざい)を捽(すぐつ)て御薬(みくすり)を調進(てうしん)し献(たてまつ)れども更(さら)に其(その)験(しるし)なく。遂(つひ)に八月廿六日 宝(おん)
算(とし)五十八才にて崩御(ほうぎよ)なし給ひけるぞ哀(かな)しけれ。御 在位(ざいゐ)僅(わづか)三年なり。女御(にようご)宮妃(きうひ)諸(しよ)皇子(わうじ)
姫宮(ひめみや)の御 歎(なげき)申も更(さら)なり。公卿(こうけい)大夫(たいふ)の愁傷(しふせう)大方(おほかた)ならず。下(しも)市人(てうにん)農民(ひやくせう)まで悲泣(ひきう)せざ
るはなかりけり。然(しかれ)どもさて有(あり)果(はつ)べきにあらざれば。御 葬送(そう〳〵)の儀式(ぎしき)を整(とゝの)へ葛野郡(かどのこほり)立(たち)
屋(や)の里(さと)小松原(こまつばら)なる田邑(たむら)の陵(みさゝき)に葬(ほふむ)り奉(たてまつ)りける。其後(そのゝち)諒闇(りようあん)も畢(おはり)て仁和(にんわ)三年 丁未(ひのとひつじ)十一
月十七日。春宮(とうぐう)定省親王(さだみしんわう)を関白(くわんばく)基経公(もとつねこう)大極殿(たいきよくでん)へ誘(いざな)ひ奉り。五十九代の帝位(ていゐ)に即(つけ)
奉(たてまつ)らる。宇多(うだ)天皇と申奉るは此君(このきみ)にて在(ましま)せり。御 母(はゝ)は皇后(くわうぐう)班子(はんし)と申 仲野親王(なかのしんわう)の御 女(むすめ)