← 前のページ
ページ 416 / 521
次のページ →
翻刻
五年 第(だい)一の皇子(みこ)敦仁親王(あつひとしんわう)を春宮(とうぐう)に立(たて)玉へり。此時(このとき)帝(みかど)の睿慮(ゑいりよ)を以(もつ)て時平(ときひら)の妹(いもと)を
以(もつ)て春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)の御息所(みやすどころ)に立(たて)給ひ。道真卿(みちざねけう)の御 女(むすめ)を以(もつ)て二の宮(みや)斉世親王(ときよしんわう)の
御息所(みやすどころ)となし給へり。同年(どうねん)九月 道真卿(みちざねけう)古歌(こか)三百 首(しゆ)を撰(えらみ)出(いだ)し。新選万葉集(しんせんまんようしう)と
題(だい)し給ふ。上下二 巻(くわん)なり。哥(うた)一 首(しゆ)毎(ごと)に御 自作(じさく)の詩(し)を副(そへ)給へり。詩数(しすう)また三百 首(しゆ)也
同六年八月 遣唐使(けんとうし)を立(たて)られんとて菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)を大使(たいし)とし。紀長谷雄(きのはせを)を副使(ふくし)
と定(さだ)めて入唐(につとう)させられんと。専(もつぱ)ら其(その)准備(ようい)をなさせ給ひけるに。其頃(そのころ)唐朝(とうてう)には叛臣(はんしん)有(あつ)
て兵革(へいかく)起(おこ)り。唐(とう)の代大いに乱(みた)れし由(よし)聞(きこ)えければ。遣唐使(けんとうし)の義(ぎ)を止(やめ)給ひけり。同七年に
左大臣(さだいじん)源融公(みなもとのとふるこう)薨去(かうきよ)有(あり)けり。寿(ことぶき)七十三才なり。然(しかる)に帝(みかど)は御 生得(せうとく)御 多病(たびやう)に在(ましま)せば
朝政(てうせい)を聴(きか)せ給ふも懶(ものう)く思召(おぼしめし)一時(あるとき)道真卿(みちざねけう)を召(めさ)れ。朕(ちん)が身(み)多病(たびやう)にて朝政(まつりごと)を聴(きく)も
怠(おこた)りがちなれば。万民(ばんみん)の訴訟(そせう)滞(とゞこふ)りて恐(おそ)らくは世(よ)の憂愁(うれひ)となるべし。されば帝位(ていゐ)を太
子(し)に譲(ゆづら)んとおもふは如何(いかに)と勅問(ちよくもん)ありけるに。道真卿(みちざねけう)色(いろ)を正(たゞ)し給ひ。是(こ)は勅詔(ちよくぜう)にて候へ