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御 事(こと)に候とて更(さら)に辞(じ)し給ふ色(いろ)もなく。酉(とり)の二 剋(こく)より戌(いぬ)の二 剋(こく)まで。只(たゞ)一時(ひとゝき)の中(うち)に二十 題(だい)の
詩(し)を作(つくり)て献(たてまつ)り給ひけるにぞ。親王(しんわう)も臣下(しんか)達(たち)も其(その)達才(たつさい)を感(かん)じ。前代(ぜんだい)未(いま)だ例(ためし)を聞(きか)
ず後世(こうせい)亦(また)有(ある)まじき才機(さいき)かなと賞美(せうび)せられしとぞ。右の詩(し)三 首(しゆ)は失(うせ)て十七 首(しゆ)は菅家(かんけ)
詩集(ししう)に見えたり。同九年の春(はる)藤原時平(ふぢはらのときひら)を大納言(だいなごん)に任(にん)じ左大将(さだいしやう)を兼(かね)しめられ菅(すが)
原道真卿(はらのみちざねけう)を権大納言(ごんたいなごん)に任(にん)じ右大将(うだいしやう)を兼(かね)させ給へり。斯(かく)て春過(はるすぎ)夏(なつ)にもなりけるに
帝(みかど)は度々(どゝ)御 不例(ふれい)にかゝづらはせ給ふにより。又 道真卿(みちざねけう)を召(めさ)れ。春宮(とうぐう)へ御 譲位(じやうゐ)ありたき旨(むね)を
勅詔(みことのり)し給ひければ。道真卿(みちざねけう)奉(うけたま)はり給ひ。春宮(とうぐう)已(すで)に十三才にならせ給ひ。殊更(ことさら)聡明(そうめい)睿(ゑい)
智(ち)の聖君(せいくん)にて在(ましま)せば御譲位(みくらゐゆづり)の義(ぎ)誠(まこと)に可然(しかるべく)候とちょく勅答(ちよくとふ)ありけるにぞ。帝(みかど)御 欣悦(きんえつ)在(ましま)し
同年七月十三日 春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)に御 元服(げんぶく)させ進(まいら)せて万乗(ばんぜう)の宝位(ほうゐ)を禅(ゆづ)り給ひ。御
身(み)は御飾(おんかざり)を落(おろ)させ給ひて朱雀院(しゆじやくいん)へ入せ給ひけり。しかありしより亭子院(ていしいん)の君(きみ)とも申
又 寛平法皇(くわんへいほうわう)とも申奉れり。吾朝(わがてう)に法皇(ほうわう)の尊号(そんがう)有(ある)は此帝(このみかど)より始(はじま)りけり