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醍醐天皇(だいごてんわう)御即位(ごそくゐ) 時平(ときひら)乱行(らんげう)《振り仮名:奪_二叔父妻_一|おぢのさいをうばふ》条
春宮(とうぐう)敦仁親王(あつひとしんわう)人皇(にんわう)六十代の帝祚(ていそ)に即(つき)給ひ。此君(このきみ)を醍醐(だいご)天皇と申奉る。即(すなは)ち先(せん)
帝《割書:宇|田》第(だい)一の皇子(みこ)にて御 母(はゝ)は歓修寺(くわんじゆじ)内大臣(ないだいじん)高藤公(たかふぢこう)の御 女(むすめ)胤子(いんし)と申。世(よ)に承香殿(しやうけうでん)
の女御(にようご)と申奉れり。寛平(くわんへい)五年 春宮(とうぐう)に立(たゝ)せ給ひ。同九年十三才にて登極(とうきよく)し給へり
年号(ねんがう)を昌泰(しやうたい)元年と改元(かいげん)ありて。先帝(せんてい)に太上(だじやう)天皇の尊号(そんがう)を奉(たてまつ)り給ひ藤原時(ふぢはらのとき)
平(ひら)と菅原道真卿(すがはらのみちざねけう)と両卿(りようけう)相(あい)並(なら)んで朝政(てうせい)を執行(とりおこなは)せ給ふ。其義(そのぎ)大臣に准(じゆん)ぜらる
是(これ)当時(とうじ)大臣(だいじん)の宦(くわん)なきゆへなり。抑(そも〳〵)道真卿(みちざねけう)は御 年(とし)五十四才 天(てん)の生(なせ)る英才(ゑいさい)にて和(わ)
漢(かん)の経史(けいし)に渉(わたり)玉はぬ隈(くま)もなく。博学(はくがく)多聞(たぶん)なる上 忠直(ちうちよく)篤行(とくかう)の君子(くんし)なり。又 時(とき)
平(ひら)は照宣公(せうせんこう)の嫡男(ちやくなん)にて。其(その)家系(かけい)に於(おいて)は双者(ならぶもの)なき貴族(きぞく)たれども。生年(しやうねん)よふやく二十
七才 然(しか)も好色(かうしよく)放蕩(はうとう)なるのみならず。己(おのれ)を慢(まん)じ能(のふ)を妬(ねた)む性(さが)なれば。道真卿(みちざねけう)とは
天地(てんち)雲壌(うんじやう)の違(たがひ)なり。時平(ときひら)が乱行(らんげう)の第(だい)一は一時(あるとき)時平(ときひら)我館(わがやかた)【舘は俗字】へ日来(ひころ)阿(おもね)り諛(へつら)ふ徒(ともがら)を