Gallicaの日本資料を翻刻!

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見(み)を出(いだ)し総勢(そうぜい)八千 余騎(よき)を十隊(とそなへ)とし。首尾(しゆび)相佐(あひたすく)る備(そなへ)をなして国府(こくふ)まで押到(おしいた)り玉(たま) 造(つくり)に館城(やかたじろ)【舘は俗字】を構(かまへ)て本陣とし賊徒(ぞくと)誅伐(ちうばつ)の謀(はかりこと)をぞ商議(しやうぎ)しける。賊将(ぞくせう)呰麻呂(しまろ)京軍(きやうぐん) 玉造(たまつくり)に城(しろ)を構(かまへ)て籠(こも)るよしを聞(きゝ)。さらば釣出(つりいだ)して一当(ひとあて)あて味方(みかた)の武勇(ぶゆう)を示(しめ)せよとて 金窪兵太(かなくぼひやうだ)。栗原源三(くりはらげんざう)両人(りようにん)に五百人を授(さづけ)て先陣(せんぢん)とし。胆沢(いざは)悪(あく)太郎。松前荒鰐(まつまへあらわに)二人 に五百人を授(さづけ)て二陣(にぢん)とし賊将(ぞくせう)呰麻呂(しまろ)は一千人を従(したが)へて三 陣(ぢん)に進(すゝ)み。別(べつ)に田理(わたり)五郎と いふ者(もの)に五百人を授(さづけ)て遊軍(ゆふぐん)となし。合戦(かつせん)の汐合(しほあひ)を見(み)て敵(てき)の本陣(ほんぢん)を却(おびや)かし大将(たいせう)継縄(つぐなは) を討取(うちとうちとれ)よとて間道(かんどう)より向(むかは)せけり。斯(かく)手賦(てくばり)し賊軍(ぞくぐん)隊伍(たいご)を整(とゝの)へ。六月五日の朝(あさ)柵(さく)を打(うち) 立(たつ)て玉造(たまつくり)へぞ向(むか)ひける。宦軍方(くわんぐんがた)にも疾(とく)より敵(てき)の軍立(いくさたて)を洩聞(もれきい)て其(その)准備(ようい)をなし。然(しか)も 六月五日は往亡日(わうもうにち)なるに賊徒(ぞくと)是(これ)を不知(しらす)出張(しゆつてう)するは己(おのれ)と滅亡(めつぼう)を求(もとむ)る前表(ぜんへう)也(なり)と怡(よろこ)び 紀古佐美(きのこさみ)に一千五百人を授(さづけ)て先陣(せんぢん)とし二 陣(ぢん)は大伴益立(おほともましだち)一千五百人 大将(たいせう)継縄(つぐなは)は二千 余騎(よき)を領(れう)して三 陣(ぢん)となり。残(のこ)る二千 騎(ぎ)は玉造(たまつくり)の城(しろ)に遺(のこ)して留守(るす)を衛(まもら)ら【「ら」は衍ヵ】せける。去(さる)