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帝(みかど)如是(かくのごとく)菅公(かんこう)を重(おも)んじ御 賞美(せうび)在(ましま)すに付(つけ)て。左大臣(さだいじん)方(がた)の人々は愈(いよ〳〵)妬(ねた)み憎(にく)まれ
ける。昌泰(しやうたい)二年十月十四日 上皇(ぜうかう)には仁和寺(にんわじ)の益信僧都(やくしんそうづ)を戒師(かいし)として御 髻(かざり)を落(おろ)
させ給ひ。法(のり)の御 諱(いみな)を空理(くうり)と号(がう)し給ひて。即(すなは)ち仁和寺(にんわじ)に御 室(しつ)を建(たて)させ入御(じゆぎよ)
ありて専(もつは)ら真言(しんごん)の法(ほふ)を行(おこな)ひすまし給ひけり。是(これ)より世人(よのひと)仁和寺(にんわじ)をさして御室(おむろ)と
ぞ称(しやう)しける。抑(そも〳〵)仁和寺(にんわじ)と申は宇多上皇(うだじやうかう)いまだ御 在位(ざいゐ)の時(とき)御 父(ちゝ)光孝(くわう〳〵)天皇の御(ご)
菩提(ぼだい)の為(ため)大内山(おほうちやま)の麓(ふもと)に一 寺(じ)を御 建立(こんりう)ありて光孝帝(くわうかうてい)の御宇(ぎよう)の年号(ねんがう)を以(もつ)て
仁和寺(にんわじ)と寺号(じがう)し給ひ。益信僧都(やくしんそうづ)を住侶(ぢうりよ)とし真言宗(しんごんしう)を立給へり。去程(さるほど)に
帝(みかど)は御 年(とし)の長(ちよう)じ給ふに随(したが)ひ万機(ばんき)の政(まつりごと)正(たゞ)しく。臣下(しんか)を恤(めぐ)み万民(ばんみん)を撫育(なでそだて)給ふ事
母(はゝ)の子を安(やす)んずるが如(ごと)くなれば。四海(しかい)穏(おだや)かにして逆乱(げきらん)の浪(なみ)起(おこ)る事なし。一年(ひとゝせ)冬(ふゆ)の
頃(ころ)寒風(かんふう)殊更(ことさら)に厲(はげ)しければ。女宦(によくわん)別(べつ)に綿(わた)厚(あつ)き御衣(おんぞ)を献(たてまつ)りけるに。帝(みかど)曽(かつ)て着(めし)
玉はず。世(よ)の中の貧(まづし)き民(たみ)は。かゝる寒夜(かんや)にも衣(きぬ)薄(うす)く凌(しの)ぎかぬべし。朕(ちん)今 帝位(ていゐ)を