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頃(ごろ)にぞ着(つき)給ひける。是(これ)より以前(いぜん)に覚寿尼公(かくじゆにこう)は。菅公(かんこう)左遷(させん)【迁は俗字】の御 身(み)成(なり)給へりと聞(きゝ)玉ひて
大いに駭(おどろ)き歎(なげ)き給ひ。旦夕(あけくれ)紅涙(かうるい)に法衣(ころも)の袖(そで)を浸(ひた)し給ひけるに。今宵(こよひ)はからず光臨(くわうりん)なし
給ひければ。夢(ゆめ)かと許(ばかり)怡(よろこ)び給ふ中にも。菅公(かんこう)の御 顔(かほ)を見給ふに付(つけ)て。言葉(ことば)より先(まづ)御 涙(なみだ)ぞ
先立(さきだち)ける。菅公(かんこう)は伯母(おば)尼公(にこう)に御 対面(たいめん)ありて其(その)御 無事(ぶじ)を祝(しゆく)し給ひ。配流(はいる)の身(み)と成(なり)候へ
ば再(ふた)の拝顔(はいがん)も期(ご)しがたく。今生(こんじやう)の御 暇乞(いとまごひ)のため参(まいり)候と仰(あふせ)ければ。尼公(あまぎみ)雨々(さめ〴〵)と泣(なき)たまひ
彼(かの)唐土(もろこし)の屈原(くつげん)とやらんが讒言(さかしら)の為(ため)君(きみ)に疎(うと)まれ。江潭(えのほとり)にさまよひしは。見(み)ぬ唐国(からくに)の昔語(むかしがたり)と
のみ思(おも)ひはべりしに。豈(あに)おもひきや今(いま)御 身(み)左遷(さすらへ)【迁は俗字】客(ひと)と成(なり)玉はんとはとて。人の難面(つらさ)世(よ)の憂(うさ)を
算(かぞへ)たて。悔(くや)み恨(かこち)給ひけるが。涙(なみだ)かきはらひて又 曰(のたま)はく。素(もとよ)り過(あやま)ちなく辜(つみ)なき御 身(み)なれば大(おほ)
君(きみ)も程(ほど)なく御 後悔(こうくわい)在(ましま)し。皈洛(きらく)勅免(ちよくめん)の詔命(みことのり)下(くだ)り。芽出度(めでたく)旧(もと)の位(くらゐ)に還(かへり)給ふべき期(ご)も
侍(はべ)るべけれども。尼(あま)は年(とし)いたう老(おひ)て翌日(あす)の命(いのち)も頼(たの)まれず。願(ねが)はくは御 姿(すがた)を絵(ゑ)に写(うつ)しなり
とも木(き)に刻(きざみ)なりともして此寺(このてら)に遺(のこ)し給へ。帰洛(きらく)在(ましま)す迄(まで)の御 筐(かたみ)に。朝夕(あさゆふ)に見(み)まいらせて老(おひ)