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もし此詞(このことば)を用(もちひ)ぬに於(おいて)は永(なが)く主従(しゆうじふ)の義(ぎ)を断(たつ)べしと。平日(つね)は温順(おんじゆん)柔和(にうわ)の菅公(かんこう)も言(ことば)厲(はげ)
しく曰(のたま)ひければ。両人(りようにん)とも其(その)厳威(げんい)に怕(おそ)れ。再(ふたゝ)び御辞退(ごじたい)申上る事(こと)能(あた)はず。不本意(ふほんい)ながら
已事(やむこと)を得(え)ず領掌(れうぜう)しける。菅公(かんこう)色(いろ)を和(やはら)げ給ひ。御一 門(もん)方(がた)姫君(ひめぎみ)達(たち)への御 伝言(ことづて)を言(いひ)
含(ふくめ)給ひ御 暇(いとま)を給(たび)けるゆへ島田(しまだ)。々(た)口(ぐち)は拝辞(はいじ)して春彦(はるひこ)に後(あと)の事どもをよく〳〵頼(たのみ)おき
御 封物(ふうもつ)を持(ぢ)して遂(つひ)に力(ちから)なく筑紫(つくし)を立(たつ)て都(みやこ)へぞ上(のぼ)りける
因(ちなみ)に曰 此時(このとき)両人(りようにん)に渡(わた)し給ひし御 草稿(さうかう)は。昌泰(しやうたい)三年八月 家集(いへのしう)を献(たてまつ)り給ひ
し後(のち)配所(はいしよ)におはしける時(とき)までの御 詩集(ししふ)なり。菅家後集(かんけこうしふ)とも。菅家後(かんけこう)
草(さう)とも号(なづけ)て一 巻(くわん)あり。其中(そのうち)三十八 首(しゆ)は筑紫(つくし)へ赴(おもむ)き給ふまでの御 作(さく)なり
菅公(かんこう)天拝山(てんぱいざん)祈願(きぐわん)《割書:并(ならびに)》薨去(かうきよ) 渡会春彦(わたらへはるひこ)忠実(ちうじつ)死去(しきよ)条
島田忠臣(しまだたゞおみ)。田口辰音(たぐちたつおと)已(すで)に筑紫(つくし)を立(たつ)て都(みやこ)へ上(のぼ)りける後(のち)は。菅公(かんこう)御 居室(ゐま)に籠(こもり)
給ひ。何(なに)かはしらず細密(こま〴〵)と一 書(しよ)を書記(したゝめ)給ひ。春彦(はるひこ)に命(あふせ)て彼(かの)飛梅(とびうめ)の新枝(ずはえ)を一 枝(えだ)