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まで昼夜(ちうや)勤仕(きんし)し猶(なほ)御 墓(はか)を守(まも)りて廬(ろ)する事一 年(ねん)延喜(えんぎ)四年二月二十五日。菅公(かんこう)
一 周忌(しうき)の御 命日(めいにち)に当(あたつ)て。さして病(やまふ)に染(そま)るともなく。沐浴斉戒(もくよくさいかい)し中臣(なかとみ)の祓(はらひ)を誦(じゆ)し
安然(あんぜん)として卒去(そつきよ)しける行年(ぎやうねん)八十五才とぞ聞(きこ)へし。後(のち)神(かみ)に祝(いはひ)こめ菅神(かんじん)の摂社(せつしや)としる
白太夫(しらたいふ)の宮(みや)は此(この)春彦(はるひこ)が事なり。誠(まこと)に希代(きたい)の一人なりけり
因(ちなみ)に曰 菅公(かんこう)の天(てん)を拝(はい)し給ひし山を土人(どじん)天拝山(てんはいさん)と号(なづけ)彼(かの)岩(いは)を天拝岩(てんはいがん)と謂(いへ)り
寛平法皇(くわんへいほふわう)《振り仮名:築_二双岡_一|ならびがおかをきづく》 法性坊(ほふしやうばう)《振り仮名:夢謁_二菅公亡霊_一|ゆめにかんこうのぼうれいにえつす》条
惜(おしひ)哉(かな)北闕(ほくけつ)の春(はる)の花(はな)不帰(かへらざる)水(みつ)に従(したがふ)て流(ながれ)奈何(いかんか)西府(さいふ)の夜(よる)の月(つき)不霽(はれず)して虚名(きよめい)
の雲(くも)に入(いる)。さしも朝廷(てうてい)の忠臣(ちうしん)と呼(よば)れ給ひし右大臣(うだいじん)菅原道真公(すがはらのみちざねこう)五十九才にして如月(きさらぎ)の
梅花(ばいくわ)と倶(とも)に散(ちつ)て西府(さいふ)の土(つち)に帰(かへり)給ひし事。早(はや)く都(みやこ)に聞(きこ)えしかば。姫君(ひめぎみ)達(たち)の御 愁傷(しうしやう)は
申も中々(なか〳〵)疎(おろか)にて御一 門(もん)を首(はじめ)無縁(むえん)の月卿(げつけい)雲客(うんかく)数(かづ)ならぬ市人(てうにん)農民(ひやくしやう)まで老(らう)となく
少(せう)となく。惜(をし)み歎(なげ)かざるは無(なか)りけるに。只(たゞ)時平(しへい)方(がた)の輩(ともがら)は菅公(かんこう)もし左遷(させん)【迁は俗字】恩免(おんめん)の詔命(みことのり)を