← 前のページ
ページ 483 / 521
次のページ →
翻刻
皈洛(きらく)あらば讒奏(ざんそう)の罪(つみ)露見(ろけん)し。如何(いか)なる御 咎(とがめ)を蒙(かふむ)らんも量(はかり)がたしと。皆(みな)安(やす)き心もなかり
けるに。已(すで)に筑紫(つくし)にて薨去(かうきよ)ありしと聞(きゝ)。時平(しへい)はじめ光(ひかる)。定国(さだくに)以下(いげ)の奸徒(かんと)。目(め)の上の瘤(こぶ)を除(のぞき)
し心地(こゝち)して大いに怡(よろこ)び始(はじめ)て枕(まくら)を高(たか)うし各(おの〳〵)参会(さんくわい)して酒宴(しゆえん)を摧(もよほ)し賀(よろこび)を演(のべ)てぞ楽(たのしみ)ける
茲(こゝ)に寛平法皇(くわんへいほふわう)《割書:宇|多》は先(さき)に菅公(かんこう)の左遷(させん)【迁は俗字】を申 宥(なだめ)んと。御 輿(こし)にも乗(めさ)ず御 参内(さんだい)なし給ひしに
奸臣(かんしん)們(ら)に妨(さまた)げられ給ひて。本意(ほい)なく還御(くわんぎよ)なし給ひし後(のち)は世(よ)を憂(うき)ものに思召(おぼしめし)けるところ
菅公(かんこう)終(つひ)に薨去(かうきよ)ありしと聞(きか)せ給ひて。恐(おそれ)多(おほく)も御 衣(ころも)の袖(そで)を哀涙(あいるい)に浸(ひた)し給ひ。いとゞ時平(しへい)
以下(いげ)の讒者(ざんしや)を恨(うら)み悪(にくみ)給ひ。都(みやこ)の方(かた)を見(みる)も嗔(しん)𠹤(い)の種(たね)なりと思召(おぼしめし)仁和寺(にんわじ)の前(まへ)に山を築(きづ)
かせ給ひけり。其(その)築山(つきやま)二峰(ふたみね)なるを以(もつ)て。世(よ)に双(ならび)か岡(おか)とぞ呼名(よびな)しける。是(これ)仁和寺(にんわじ)より都(みやこ)の
見えざる為(ため)の目隠(めがく)しなり。斯(かく)て法皇(ほふわう)は御室(おむろ)に閉籠(とぢこもり)給ひ。朝夕(てうせき)菅公(かんこう)の菩提(ぼだい)を弔(とふら)【吊は俗字】はせ玉
ひ御 座(ざ)の側(かたはら)には菅家(かんけ)詩歌(しいか)の書物(しよもつ)を置(おか)せ給ひて御徒然(ごとぜん)の折々(をり〳〵)は是(これ)を御覧(ごらん)じ。菅公(かんこう)
に御 対面(たいめん)なし給ふ御 心地(こゝち)にて御心(みこゝろ)を慰(なぐさめ)給ふも難有(ありがた)かりし御事なり。菅公(かんこう)の御霊(みたま)も