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位(ゐ)を皇太子(くわうたいし)山部親王(やまのべしんわう)に譲(ゆづ)らせ給ひけり。是(これ)を人皇(にんわう)五十代の天子(てんし)桓武天皇(くわんむてんわう)と申(まうし)
奉(たてまつ)る即(すなは)ち御即位(ごそくゐ)の大礼(たいれい)を執行(とりおこな)はれ。伊勢太神宮(いせだいじんぐう)へ勅使(ちよくし)を立(たて)給ひ御 受禅(じゆぜん)の儀(ぎ)を
告(つげ)させられ。御 弟皇子(おとゝみこ)早良親王(はやよししんわう)を太子(たいし)に立(たて)給ひ内大臣(ないだいしん)藤原魚名(ふじはらのうをな)を左大臣(さだいじん)に転(てん)
じ給ふ此頃(このころ)は左右(さいう)の大臣(だいじん)を並(なら)べおかれず。左大臣(さだいじん)か右大臣か一人にて政(まつりごと)を執行(とりおこな)ひ大(だい)
納言(なごん)たる人 是(これ)に相副(あひそふ)て政事(せいじ)を佐(たすく)るならひ也(なり)。抑(そも〳〵)桓武天皇(くわんむてんわう)と申(まうし)奉るは御 諱(いみな)は日本(やまと)
根子皇統珍照尊(ねこすべらぎたからてるのみこと)光仁天皇(くわうにんてんわう)第(だい)一の皇子(わうじ)にて御 母(はゝ)は高野夫人(たかのゝぶにん)と申。高野乙継(たかのゝをとつぐ)の
女(むすめ)なり。桓武天皇(くわんむてんわう)は天性(てんせい)御 孝心(かうしん)深(ふか)く。又 儒学(じゆがく)を尊(たつと)び仏法(ぶつほふ)信(しん)じ給ひ。然(しか)も御大量(ごたいりやう)
にて勇気(ゆうき)厲(はげし)く武臣(ぶしん)を誡(いましめ)て弓馬(きうば)兵法(へいほふ)を励(はげ)み学(まなば)しめ給ひ。其(その)進(すゝ)む者(もの)を登用(とうよう)し其(その)
怠(おこた)る者を黜(しりぞ)け給ひける。かゝる名君(めいくん)なれば奥州(おうしう)在陣(ざいぢん)の諸将(しよせう)の怠謾(たいまん)を責(せめ)。火急(くわきう)に功(かう)
を立(たつ)べきよしの勅書(ちよくしよ)を。征東使(せいとうし)へぞ下(くだ)されける。却(かへつて)説(とく)奥州(おうしう)在陣(ざいぢん)の諸将(しよせう)は都(みやこ)より加勢(かせい)を
も下(くだ)されず兵糧(ひやうらう)をも送(おく)られざるゆへ。如何(いか)なる故(ゆへ)にやとて時々(より〳〵)集会(しうくわい)し評議(ひやうぎ)するのみ