Gallicaの日本資料を翻刻!

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と称(となへ)奉る事とはなりけり。抑(そも〳〵)八幡宮(はちまんぐう)と申奉るは。人皇(にんわう)十六代の帝(みかど)応神天皇(おふじんてんわう)の御 事なり。則(すなは)ち仲哀天皇(ちうあいてんわう)第(だい)四の皇子(みこ)にて。御 母(はゝ)は神功皇后(じんぐうかうぐう)にて在(ましま)せり。皇后(かうぐう)皇子(みこ) を孕(みごも)り給ひながら三 韓(かん)を御 征伐(せいばつ)あり。御 凱陣(かいぢん)の后(のち)庚辰(かのへたつ)の冬(ふゆ)十二月 筑紫(つくし)の 蚊田(かだ)にて平易(やす〳〵)と皇子(わうじ)を産(うま)せ給へり。其(その)生(あれ)ませし初(はじめ)より御 腕(うで)の上に完(しゝむら)生(おひ)て形(かたち) 鞆(ほんだ)のごとくなりしゆへ誉田天皇(ほんだてんわう)とも申奉りけり。是(これ)即(すなは)ち応神天皇(おふじんてんわう)にて在(ましま)せり御 治(ち) 世(せい)四十一年 宝算(ほうさん)百十一才にて庚午年(かのへむまのとし)二月十五日 大和国(やまとのくに)軽島豊明宮(かるしまとよあけのみや)にて崩御(ほうぎよ) なし給ひ。河内国(かはちのくに)古市郡(ふるいちごほり)長野山(ながのやま)に葬(ほふむ)り奉る。其後(そのゝち)人皇(にんわう)三十代 欽明天皇(きんめいてんわう)の御宇(ぎよう) に初(はじめ)て御廟(ごべう)を立(たて)給ふ。今の河内誉田八幡宮(かはちほんだはちまんぐう)是(これ)なり。同(おなじく)欽明天皇(きんめいてんわう)三十一年の冬(ふゆ)豊(ぶ) 前国(ぜんのくに)菱形(ひしがた)の池(いけ)の辺(ほとり)なる民家(みんか)の小児(せうに)にうつりまして神託(しんたく)ありけるは。我(われ)は是(これ)人皇(にんわう)十六代 誉田八幡丸(ほんだやはたまろ)なり。普(あまね)く諸国(しよこく)に垂跡(すいしやく)し。今また此地(このち)に住(すむ)べきなりとあり。是(これ)に依(よつ)て 右の旨(むね)を都(みやこ)へ奏聞(そうもん)に及(およ)びければ。即(すなは)ち勅使(ちよくし)を立(たて)られ豊前国(ふぜんのくに)に八幡宮(はちまんぐう)の宮社(みやゐ)を建(たて)