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帝(みかど)の睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)られければ。君(きみ)御覧(ごらん)ありて睿慮(ゑいりよ)に合(かな)ひ。急(いそ)ぎ其地(そのち)に宮闕(きうけつ)を
経営(けいゑい)すべしと勅詔(みことのり)下(くだ)りけるにより。両卿(りようけう)より木工頭(もくのかみ)修理職(しゆりしよく)へ申 渡(わた)し六月 中旬(ちうじゆん)
より五 幾(き)【畿とあるところ】七 道(どう)の人夫(にんぶ)を召聚(めしあつ)め土(つち)を運(はこ)び石(いし)を曳(ひき)良材(りようざい)諸物(しよぶつ)を集(あつめ)て日夜(にちや)を
分(わか)たず修理(しゆり)を励(はげ)み造営(ぞうゑい)を急(いそ)ぎける程(ほど)に。冬(ふゆ)十月に及(およ)びて早(はや)くも宮闕(きうけつ)殿宇(でんう)成(じやう)
就(じゆ)しけるゆへ其由(そのよし)奏聞(そうもん)しける。帝(みかど)睿慮(ゑいりよ)麗(うるは)しく。参議(さんぎ)近衛中将(こんゑのちうせう)紀船守(きのふなもり)を勅(ちよく)
使(し)として山背国(やましろのくに)賀茂(かも)上下の神社(しんじや)へ幣(みてくら)を奉(たてまつ)り遷都(せんと)の義(ぎ)を明神(みやうじん)に告(つげ)させ給ふ
是(これ)賀茂(かも)の神社(しんしや)は山背国(やましろのくに)鎮護(ちんご)の神(かみ)なる故(ゆへ)とかや。斯(かく)て奉幣(はうへい)相(あい)すみければ同年(どうねん)
十一月 最上(さいじやう)吉日を択(えら)み桓武天皇(くわんむてんわう)女御(にようご)后妃(こうひ)諸親王(しよしんわう)公卿(こうけい)百官(ひやくくわん)を将(つれ)て平城(なら)の都(みやこ)を
御 発駕(ほつか)在(ましま)し長岡(ながおか)の新都(しんと)へ臨幸(りんかう)なし給ひ。遷都(せんと)の規式(ぎしき)を執行(とりおこな)はせ給ひけり。是(これ)
に依(よつ)て百司(ひやくし)百官(ひやくくわん)をはじめとし。士農工商(しのうかうせう)も大半(たいはん)平城(なら)より新都(しんと)へ居(きよ)を移(うつ)しけり。然(しかる)に
忽(たちま)ち不時(ふじ)の騒動(そうどう)起(おこ)りける。其(その)乱根(らんこん)を尋(たづぬ)るに。今度(こんど)新都(しんと)の地形(ちぎやう)を見立(みたて)たる中(ちう)