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賜(たま)ひ一 社(しや)の神(かみ)に鎮祭(しづめまつり)給ふ。是(これ)も御霊(ごれう)八 社(しや)の中(うち)の一 社(しや)なり。かゝりければ親王(しんわう)の怨霊(おんれう)
も帝恩(ていおん)の厚(あつ)きを感(かん)じ給ひけん。其後(そのゝち)は怪異(けい)の事も止(やみ)ければ諸人(しよにん)漸(やうや)く心を安(やす)
んじ是(これ)偏(ひとへ)に帝(みかど)の御恩沢(ごおんたく)なりと弥(いよ〳〵)君徳(くんとく)を仰(あふ)ぎけり。朝廷(てうてい)には帝(みかど)諸臣下(しよしんか)と御
評議(ひやうぎ)有(あつ)て春宮(とうぐう)なくんば有(ある)べからすとて第(だい)二の皇子(みこ)安殿親王(やすどのしんわう)を皇太子(くわうたいし)に立(たて)玉ひける
《振り仮名:築_二再新都_一造_二営大内裏_一|ふたゝびしんとをきづきだい〳〵りをぞうゑいす》 釈最澄(しやくのさいてう)《振り仮名:開_二基延暦寺_一条|えんりやくじをかいきす》
桓武天王(くわんむてんわう)平城(なら)の都(みやこ)を山背国(やましろのくに)長岡(ながおか)に移(うつ)し遷都(せんと)【迁は俗字】なし給ひけるに。此地(このち)も尚(なを)土(と)
地(ち)狭(せま)く不便(ふべん)の事 多(おほ)ければ。大納言(だいなごん)藤原継縄(ふぢはらのつぐなは)。大納言 小黒丸(をくろまる)等(とう)に詔(みことの)り在(あつ)て
再(ふたゝ)び山背国(やましろのくに)にて新内裡(しんだいり)を造営(ぞうゑい)すべき地(ち)を択(えら)ませ給ふ。両卿(りようけう)勅命(ちよくめい)を奉(うけたまは)
り諸所(しよしよ)を巡見(めぐりみ▢)【注】に同国(どうこく)葛野群(かどのごほり)宇多村(うだむら)こそ新都(しんと)とすべき最勝(さいしやう)の地(ち)なる
べしとて即(すなは)ち地図(ちづ)を写(うつ)して立帰(たちかへ)り。帝(みかど)の睿覧(ゑいらん)に備(そなへ)られければ。帝(みかど)御覧(ごらん)あり
て。さらば朕(ちん)も其地(そのち)を見んと宣(のたま)ひ公卿(こうけい)数人(すにん)を将(ひきい)て葛野群(かどのごほり)宇田村(うだむら)へ御幸(みゆき)
【注 国立国会図書館デジタルコレクション『扶桑皇統記』版本、並びに法政大学 国際日本学研究所所蔵資料アーカイブス『扶桑皇統記図会』(筆写体本)(以後「別本」とする。)に「みる」とあり。】