翻刻
【十七頁右】
【枠外上に十三と有】
後栢原院(ごかしははらいん)の御宇(ぎよう)のころ・梅津少將(うめづせう〳〵)と云人・生質音學(むまれつきおんがく)にくはし
かりしが・應仁の乱(らん)をさけて・長門國なる・大内義隆(おほうちよしたか)により給ひ
しに・少將の門に入てまなぶもの・若干(そこばく)におよびぬ・此ころ義隆
の家老(かろう)に陶尾張守晴賢(すへをはりのかみはるかた)・《割書:天文廿年八月晴賢そむく・九月朔日義隆|自殺(じさつ)す・晴賢すなはち大友 宗麟(そうりん)が弟義長》
《割書:を豊後国よりむかへて・長門国をつがしめ・その身は入道して全姜(せんきやう)と号(ごう)す・|弘治元年十一月・毛利元就にうたれて・全姜義長あひともに自殺す・》
といふものありて・ひそかに少將を害(がい)せんことをはかりしかは・
門人このよしをきゝいだして・いそぎ少將につけまいらせしに・
おどろき給ひて・とく義隆にはかり給ひしかは・義隆 文(ふみ)を書(しる)して・
毛利元就(もうりもとなり)へさけしめまいらす・そのふね暴風(ぼうふう)にあふて・いづちとも
なくたゞよひ・からうじて・琉球に漂着(ひやうちやく)し給ひしを・兼城(かねぐすくの)按司
【十七頁左】
いつくしみまいらせしに・按司のむすめよく月琴(げつきん)を弾ぜり・
少將はもとより・音律(おんりつ)にたくみなりしかば・たちどころに
目琴の妙手(めうしゆ)とはなれりけり・つゐに此女に通(つう)じて・夫婦(ふうふ)と
なれり・ともに月琴の名国中にかくれなかりしかば・尚元王
このよしをきく。夫婦を宮中(きうちう)にまねきて・月琴をこゝろま
しむ・少將 王位(わうゐ)をしやうして・うたをつくりうたひ給ふ・いま
琉球 組(くみ)とよにとなふるものこれなり・徂徠(そらい)の琉球 聘使記(へいしき)に・
三線歌琉曲也(さんせんうたはりうきよくなり)といふにおなし・王この曲(きよく)にかんじて・しな〳〵
ひきでものありて・日本へ歸しおくらしむ・正親町院(おほきまちいんの)御宇・
永禄五年の春・夫婦ともに豊前国(ぶぜんのくに)につき・それより同国