翻刻
【一頁右】
まねけども服(ふく)せず・同六年・陏(ずい)の兵船(ひやうせん)攻(せめ)きたりて・王
を殺(ころ)す・その後(のち)《割書:文治二年|宋淳煕十三年》逆臣(ぎやくしん)利勇(りゆう)毒(どく)を以て王を弑(しい)
し・自(みづから)立(たち)て王と称(しやう)す・此時 浦添(うらそえの)按司 舜天(しゆんてん)・利勇を討(うつ)・
利勇これに死(し)す・もろ〳〵の按司・舜天の德(とく)をあほひて・
推(お)して王位(わうい)につかしむ・《割書:以上廿五代一万七千八百二年》
(舜天(しゆんてん)王) 傳信録(てんしんろく)に・舜天王は日本 人皇(じんこう)の後裔(こうゑい)・大里(おほさとの)按司
朝公(てうこう)の子・浦添(うらそへの)按司たり・逆臣利勇を討・衆人(しうじん)推(お)して
王位につかしむ・《割書:文治三年|淳煕十四年》時に年廿一《割書:嘉禎三年|嘉煕元年》薨(こうず)・在位(ざいゐ)
五十一年・壽(ことぶき)七十二・〇保元平治物語に云・為朝(ためとも)十八歳
の時・父 六条判官為義(ろくじやうはんがんためよし)とおなしく・新院(しんいん)の御味方(おんみかた)となり・
【一頁左】
軍(いくさ)やぶれて・伊豆国(いつのくに)に流(なか)さる廿九歳にして・鬼(おに)が島(しま)へわたり
帰国(きこく)の後・国人(くにたみ)のうつたへによりて・官兵(くはんへい)をさしむけ
られ・三十三歳にして自殺(じさつ)す・云々○琉球本略に云・
二条院永万年中・為朝海にうかみ・ながれにしたがひて・
国を求め・琉球国にいたる・国人その武勇(ふゆう)におそれふくす
つゐに大里按司の妹(いもうと)に相具(あいぐ)し・舜天王をうむ・為朝
この国にとゝまる事・日久しく・故土(こと)をおもふ事・禁(きん)しがたく
して・つゐに日本に帰(かへ)れり・云々○中山世譜・《割書:紫金|大夫》
《割書:蔡温撰す尚敬王の代康熙|五十六年清に使するもの也》南宋乾道(なんそうのけんどう)元年乙酉・鎭西(ちんせい)為朝
公・随(したがひ)_レ流(なかれに)至(いたる)_レ國(くにゝ)・生(うみて)_二 一子_一而 返(かへる)・其子名 ̄は尊敦(そんとん)・後為(のちなる)_二浦添 ̄の