翻刻
【三頁右】
二・《割書:正和二年|皇慶二年》薨・在位五年・寿四十六・
(玉城(きよくしやう)王)英慈王の四子・《割書:永仁四年|元貞二年》生・《割書:正和三年|延祐元年》位につく・年
十九・此王内には酒色(しゆしよく)にふけり・外には田猟(みかり)を事として・
政(まつりこと)すたれ・世(よ)おとらふ・こゝにおいて・諸 ̄の按司・みなそむきて・
わつかに中山王と号して・首里(すり)・真和志(まわし)・浦添(うらそへ)・北谷(きたたん)・中城(なかぐすく)・
越来(こへく)・讀谷山(よむたんさん)・具志川(ぐしかは)・勝連(かつれん)・西原(にしはら)・与那城(よなぐすく)・泊(とまり)・南風原(はへはら)・東風(こち)
平(ひら)・等(とう)の数國(すこく)のみを領(りよう)して・餘(よ)は大里 ̄の豊見城(とよみくすく)に自立(みつからたち)
て・山南王(さんなんわう)と号(ごう)し・今歸仁(いまきにの)按司は山北王(さんほくわう)ととなん・国 𪔂足(ていそく)
のいきほひをなして・合戦(かつせん)一日もやむ時なし・《割書:建武三年|至元二年》薨・
在位廿三年・寿四十一・
【三頁左】
(西威(せいゐ)王) 玉城王の子《割書:嘉曆三年|至和元年》生《割書:建武四年|至元三年》位につく年十歳 国政(こくせい)
こと〳〵く母妃(ぼひ)に帰(き)せりいはゆる牝鶏晨(ひんけいのあした)するのならひなれば
事としてみだれざるはなし《割書:観応元年|至正十年》薨・在位十四年寿廿三
此時浦添按司に察度(さいと)といふ賢者(けんしや)あり人々みなこれに
帰服(きふく)せしかば王の世子(せいし)を廃(はい)してこの察度にしひて王位を
つがしむ《割書:以上五代九十九年 》
(察度(さつと)王)浦添間切・謝那村(やなむら)・奥間大親(おくまおほおや)の子にして・はしめ
浦添按司たりし時・西威王薨じて・世子わづかに五蔵・
母妃いよ〳〵政をみだりければ・國人 世子(せいし)を廃(はい)して・王位
につかしむ・《割書:観応元年|至正十年》なり・《割書:応永二年|明洪武廿八》薨・在位四十六年・壽