翻刻
【欄外】
手引草 下
【右丁】
お相手(あいて)する也 今(いま)は知(し)らず昔(むかし)は朱門(しゆもん)に此弊(このへい)ありしゆゑ朱(ゆ[ママ])門(もん)に八十九十の
長寿(ちやうじゆ)稀(まれ)也 豈(あに)朱門(しゆもん)のみならんや金家(きんか)にも此弊(このへい)あり命(いのち)惜(をし)くは慎(つゝし)
むべし○五に言語(ものいひ)を少々(すくな)しといふは用(よう)の外(ほか)雑言(むだこと)をべら〳〵ちやべる
なといふこと也 古云(こげん)にも詞(ことば)多(おほ)きは品(しな)すくなしといへり○六に怒(いか)りを
少(すくな)くしとは怒(いかり)は肝(かん)の臓(ざう)より出(いづ)る也 気(き)ちがひも肝火(かんくわ)もゆるゆゑ也 怒(いかり)
は気違(きちがひ)の軽(かろ)き也 少(すくな)しとはなりたけ堪忍(かんにん)せよと也○七に憂(うれひ)を少くし
○八に悲(かなしみ)を少くし○九に思(おも)ひを少くしとは心(こゝろ)のもちやう也たとへば
家(いへ)を烟(けぶり)になして憂(うれ)ひ又は子(こ)を先(さき)だてゝ悲(かなし)みかへらぬことをいつ
までも思(おも)ひなげくな是(これ)みな世(よ)にあるならひにて天命(てんめい)ぞとあき
らめよ気(き)をもみて元気(げんき)を減(へら)すな命(いのち)をちゞむなといふいましめ也
【左丁】
○こゝに一ッの物語(ものがたり)あり沢庵和尚(たくあんおしやう)世(よ)に在(あり)し寛永(くわんえい)の頃(ころ)ある御家(おいへ)の北(きた)
の方(かた)御 腹(はら)にまうけ給ひたる若君(わかぎみ)七ッになり
玉ひしに歳(とし)の秋(あき)十日はかりのなやみにて身(み)
まがり給ひしを北(きた)の方(かた)憂(うれひ)悲(かなしみ)思ひわするゝ隙(ひま)
なく終(つひ)に病(やまひ)の床(とこ)に臥(ふし)給ひけるに年頃(としごろ)
帰依(きえ)ありし沢庵(たくあん)一首(いつしゆ)の歌(うた)をおくられ
たる其(その)歌(うた)に「何事(なにごと)もそれにまかせて
おく山に心(こゝろ)ばかりはすみ染(ぞめ)の袖(そで)」歌(うた)の
意(こゝろ)は何事(なにごと)も天命(てんめい)ぞ神仏(かみほとけ)のなし給ふ
約束(やくそく)ぞとあきらめ給ひ心(こゝろ)をさらりと入れ