翻刻
【右丁】
《割書:五万石○作手を領|する事もとの如し》女子は大久保加賀守忠常か室となる されは
此美作守信昌我身の大名になれるのみにあらす子息等みな
大御所の御外孫なれはこと〳〵く大名になしたまひしと老後に
三人迄男子をさきたてゝ元和元年三月十四日六十一歳にして
卒せられぬ嫡子家昌は別に宇都宮の城賜し嫡孫其家を
つく二男右京大夫家治にはよつきなし三男摂津守忠政の
男ありけれはその孫に加納の城をは給りけり《割書:十万|石》次の男をも
忠七郎と申御諱字給り忠隆と名のる忠隆七歳にて
父にわかれ八歳にて祖父信昌の政をつき十四歳にて
元服し飛騨守に任し寛永二年五月廿七日祖母は
【左丁】
加納の城にてかくれたまふ御年六十六歳とそ聞えける同き九年
正月五日忠隆二十五歳にて卒すよつきなけれは家絶たり
《割書:世に伝ふる所は美作守信昌の家を摂津守殿つかせ給ひ摂津守殿うせたまひて|飛騨守殿その跡をつかせたまひしといふされは摂津守殿うせたまひしは御父》
《割書:信昌よりさきの事なれは不審なりたゝし信昌致仕して加納城を|摂津守殿にゆつられしにやその事はたゝしき実記には見えす》
大膳大夫平家昌《割書:奥平と|称す》美作守信昌の嫡男宇津宮の城を
領し《割書:これよりさきの事は|父信昌の伝にみゆ》慶長十九年十月十日とし三十八歳にて
父にさきたつて卒せらる其男年わつかに七歳にてあとを
つき成人の後将軍家の御前にて元服し御諱字給り
叙爵し美作守忠昌と申す元和五年下総国古河の城に
うつり《割書:十一|万石》同八年ふたゝひ宇津宮を領すそのゝち従四位下し